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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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The Tyranny of Merit

The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? (English Edition)

機知に富んだ問答で有名なマイケル・サンデル教授が、現在のアメリカの分断について語る滅茶苦茶面白い本です。多くのアメリカが大統領選挙結果をインチキだと思っているというのは極端な例だけど、日本でも分断は他人事ではありません。こういう分断がどこから来るのか不思議だと思っていましたが、ピッタリな素晴らしい本を見つけました。あまりに面白かったので二度読んで読書メモを書いてしまった。4月に「実力も運のうち」というタイトルで邦訳が出るようなので楽しみです。

INTRODUCTION:

2019 年に全米を震撼させた入試スキャンダルを枕に、大学入試の公平性について語ります。ある入学詐欺師によると、入学試験には「正門」「裏門」「横門」の三つの門があるそうです。「正門」は普通入試、「裏門」は高額寄付者や卒業生の子息の特別枠で、アメリカでは合法です。スキャンダルを生んだ違法な「横門」では、入試監督を直接買収してしまいます。

金銭で入学資格を得られるのは不公平だけど、果たして他の合法な二つの門は公平と言えるでしょうか? 裏門の特別枠は合法だけど当然不公平です。正門の普通入試は公平っぽく見えますが、合格者の多くが高額所得者の子息であるという統計から公平性が疑われています。

1 WINNERS AND LOSERS

グローバル経済によって貧富の差が広まりましたが、アメリカ人は伝統的に貧富の差を許してきました。いくら貧富に差があっても機会が均等であれば誰でも大学で学んで成功のチャンスが巡ってくるという「実力主義」を信じてきたからです。しかし現実には大学生の多くを富裕層が占め、階層間の移動は難しいみたいです。

一方で、実力主義には倫理上の問題もあります。実際には環境によって学歴が大きく左右されるのに、勝者には今の地位を自分だけの力で勝ち取ったという奢りを植え付け、敗者には自分の責任への恨みを生みます。トランプ主義者たちの本当の怒りの対象は移民や輸入ではなく、このような「実力主義の横暴」でした。

60 年前にイギリスの社会学マイケル・ヤングは、階級社会の解消が実現し完全な機会均等が実現した世界が、実は勝者に傲慢を与え敗者に屈辱を強いる過酷な世界だと述べました。

2 “GREAT BECAUSE GOOD”: A BRIEF MORAL HISTORY OF MERIT

実力主義は一見当たり前に思えますが、努力が実を結ぶという考えは裏を返すと「自業自得」「因果報応」にたどり着きます。この章では西洋における因果報応の思想史を振り返ります。

聖書のヨブ記では、信心深いヨブがなんと神とサタンの賭けの対象にされます。ヨブから財産と子供を奪い、なおかつ信心を保てるか勝負しようと言う酷い話です。何も知らない哀れなヨブは、友人からは因果報応を疑われるが思い当たる節が無く途方に暮れます。

アウグスティヌスによると、因果報応は神に反するそうです。もしも善行で自分を救済出来てしまうなら神は要りません。神は万能であるからして救済は神の気まぐれで行われるはずなのです。しかしこれでは人はお布施もよこさずミサにも来てくれなくなる。困った事になるので教会は実益を取って因果報応を説くようになってしまいました。

プロテスタントは因果報応、特に免罪符への抗議から広まりました。神への捧げに見返りを求めてはならない。死後の救済は神のみぞ知る。しかし、自分が救済されないかも知れない不安から人々は「天職」に身を捧げるようになり、皮肉な事にその勤勉さは蓄財と資本主義を生み出しました。

ここで、勤勉さが天国への救済に繋がる事が「実力主義の横暴」を生み出します。つまり、宗教的な「因果報応」と世俗的な「実力主義」が同一視され、成功が自分自身の正しさの証明となるのです。自己責任は感謝や謙遜より優先されます。

なぜかサンデルは西洋以外の例として、恥ずかしい事に東日本大震災当時の石原慎太郎の言葉を借ります。

「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」

3 THE RHETORIC OF RISING

1960 年代の主要な米英の思想家は偶然の才能によって所得が決まる実力主義を拒否しました。ケネディ以前に大統領が「皆さんは報われる」という言葉を使う事は無かったそうです。近年「努力すれば報われる」という考えはアメリカ社会に浸透したスローガンですが、実はレーガンからオバマまで最近 40 年のものでしかありません。

1980 年代にはサッチャーレーガンの市場重視政策によって実力主義が強調されるようになりました。レーガンは「やむを得ない理由で失敗した者を助ける」と述べ、クリントンは「全てのアメリカ人は神が与え導いた才能に従い成長する権利があるだけでなく義務がある」と述べました。オバマは労働者階級からプリンストンとハーバードを卒業した自身の妻を例に挙げさらに実力主義を推奨したましたが、トランプは大統領選挙中一切そのようなスローガンを口にしませんでした。

「努力すれば報われる」は「報われない者は努力しなかった」の裏返しです。大学を卒業しない大衆にとって、実力主義は持たざるものへの厳しい裁きと映ります。トランプ支持者たちは実力主義の傲慢に背を向け、トランプ大統領を生み出してしまいました。

4 CREDENTIALISM: THE LAST ACCEPTABLE PREJUDICE

国際化による安価な海外製品の輸入と労働力の流入で庶民の所得は低迷し貧富の差が広がりましたが、1990 年代と 2000 年代のリベラル政党は直接の対策を怠りました。代わりに機会均等を推し進める事でこれらの問題に対処しようとしました。教育こそが不平等への回答だったのです。

しかし教育の偏重の副作用として、大学を出ていない庶民から自負を奪ってしまいました。学業の偏重は暗黙のうちに大学を出ていないアメリカの過半数の労働者への差別を生みました。社会から人種差別や性差別が憚られる一方で、公然と学歴差別だけが残ったのです。

2000 年代には多くの政治家が大学卒業資格を持つようになりましたが、歴史的に見ると政治判断の評価と学歴には関連がありませんでした。ニューディール政策を行ったルーズベルトの選んだ閣僚の多くは大学を卒業していなかったし、戦後の世界秩序の構築で名高い英国のクレメント・アトレー内閣の多くは炭鉱夫出身でした。

内閣の多くを高学歴保持者が占めると政治の分断が進行しました。オバマは正しい情報を広め、無知な大衆を啓蒙する事によって地球温暖化対策などの政策を実現しようとしましたが、国際化を振興し所得格差を容認するエリートを信用しなくなった大衆の支持を失いました。

5 SUCCESS ETHICS

ここで、同じような不平等な二つの社会を想像してみます。どちらも上位二割の富裕層が所得全体の六割を得ているとします。ただし、片方が身分によって所得が決まる階級社会で、もう一方は努力によって所得が決まる実力社会です。さて、どちらが幸せでしょうか?

一見実力社会の方が良さそうですが、もし自分が運悪く貧しい身となってしまったらどうでしょう? 階級社会では、自分の境遇が偶然の身分によるものだという事を多くが認めています。豊かな者は感謝を失わず、貧しい者にも自負があります。一方の実力社会では、貧しい者は努力が足りないとして顧みられることはありません。モラルの観点から階級社会や実力社会よりマシな制度は無いでしょうか?

フーリドリッヒ・ハイエクの自由市場主義によると、不平等を解消するための全ての政府の規制や税制を否定して市場に任せるべきだそうです。ただし、貧富の差は市場の偶然の結果であって実力や努力とは関係ないと主張します。

ジョン・ロールズ福祉国家自由主義によると、個人の能力を社会の共有財産とみなし、そこから生まれた利益は広く共有するべきだという事です。どちらの考えも能力は正義ではないと主張していますが、それでも勝者の傲慢は避けられません。

6 THE SORTING MACHINE

実力主義の課題に応えるために、教育と仕事について再検討します。

1940 年代にハーバード大学学長のジェームズ・コナントが入試改革に乗り出す以前のアメリカの名門大学は、上流階級のプロテスタントの子息が勉強せずにパーティーやスポーツを楽しむ場でした。マンハッタン計画に化学者として参加した事もあるコナントは遊んでばかりの大学生を見てアメリカの将来を憂い、アメリカの指導者を育てるために全米から優秀な高校生を集めようとしました。高額な塾の指導で成績が上がる学科試験ではなく、両親の経済環境に左右されない高校生の潜在能力を測る知能テストとして SAT を設計したのです。

コナントに他の大学も追従しました。学生の学業レベルは向上し、白人エリート以外への学問の門戸は広がりました。一方で、大局的に見ると大学はあまり社会階層間の流動化に寄与しませんでした。潜在能力を測るとされた SAT にもすぐに私塾が対応し、富める者が有利な状況は変わりませんでした。代わりに行き過ぎた過酷な入試戦争が残り、青少年の精神の成長成長に甚大な障害をもたらし、受験の勝者に傲慢を生み出しました。

サンデルはこの問題への対策として、くじ引きで大学入試を行うべきだと主張します。加えて SAT 足切りとして使い学生の履修度を保証すれば授業の運営にも問題が無いそうです。

7 RECOGNIZING WORK

第二次世界大戦までは、学歴がなくても十分に家族と仕事を持つ事が出来ました。今日では学歴による格差が広がり大衆は困窮を極め絶望のあまり酒やドラッグで命を失う者も増えています。リベラル政党は手厚い社会保障でこの問題に対応しようとしたが、大衆の支持を得られていません。これは問題が単に経済的なものでは無いことを示しています。

失業の傷を失業保険で癒やすことは出来ません。失業保険の痛みは単に収入が途絶える事ではなく、社会に貢献する機会を失う事です。リベラルが試みたのは経済の成果を公正に分け与える事ですが、選挙民の求めているのはただ与えられる事ではなく、労働を尊重し、公正に社会に貢献し、社会的に評価される機会なのです。市民として私達に与えられた最大の役割は消費ではなく、創造です。

勤勉や社会貢献は歴史的に長く尊重されてきましたが、近年の政治はむしろ主に消費に目を向けてきました。公正な労働の尊重、人生の評価というのは価値観が多様化した現在においては難しいです。一方で消費者を満足させ、GDP を向上させるという目標には議論を挟む余地が少ないため、政府は消費者を満足させるために、国際化を進め、輸入と移民を進め、機械化を進め、勝者と敗者を生み出しました。

有権者の多くが敗者と感じてしまうような政策は持続しません。ここで労働の尊厳に焦点を当てた二つの政策を紹介します。

ある保守派は低所得者の給与を援助する負の所得税を導入し、製造業や鉱業のコストを下げるための環境規制を軽減するべきと主張します。消費者ではなく、生産者を守るためには輸入や移民を減らしても良いのです。

ある革新派は所得税を軽減する代わりに消費税、財産税、金融税を強化するべきと主張します。近年のハイスピード・トレードや金融商品の発達は金融関係者に大きな富をもたらしましたが、実質はただの賭博で人々の生活に貢献していません。このように税によってモラルを操作するべきです。

CONCLUSION: MERIT AND THE COMMON GOOD

アメリカン・ドリーム」という言葉を生み出した James Truslow Adams にとって、この言葉はただの出世ではなく、民主的で公正な社会の実現を意味していました。彼はこの理想を国会図書館の中に見出しました。閲覧室の中で、老いも若きも、富める者も貧しき者も、黒人も白人も、経営者も労働者も、学者も学生も、等しく公共の知を享受している。これこそが「アメリカン・ドリーム」です。

実力が努力ではなく偶然の結果であると自覚し、寛容の心を持つことが、我々の分断から立ち直るための第一歩になるでしょう。

あけましておめでとうございます 2021 年

まだ誰も起きてこないので地下室でこれを書いている。新型コロナにビビって今年は帰省しなかった。新しく引っ越した家で新年を過ごすのも悪くないが、いくら片付けても普段どおり双子が散らかし放題なのでスペシャル感もない。大晦日も普段どおり絵本を読んで双子を寝かしつけていたのであまり紅白も見れなかった。そんな中でも BABYMETAL を観れて良かった。双子が昔あんなにこのグループ、特に『女狐』を気に入ってたのにもう忘れていていた。

せっかくなので抱負というか、今年やりたい事を書いておく。まず一番に大阪に置いてある彫刻作品を持ち帰りたい。僕の見積もりでは、3t トラックのレンタカーで往復2日とナカ作業日、そして予備の一日の最大4日もあれば十分なはずだ。この話を妻にすると、一人でやるなんてとんでもない。友達を頼るか業者を探すべきだと言われるのだが、一人でやる予定だ。人を頼るのが面倒だということもあるし、色々思い出しながら作品の解体をする時に時間をかけてゆっくりやりたいというのもある。

今の地下室は天井高が足りなくて、そのまま再現というわけには行かない。それでも自宅に作品が置けると考えるとワクワクする。新作を作ろうという意欲も湧くのでは無いかと期待している。ただ置くだけでは仕方がなくて、新作をどんどん作りたいので気を緩めてはいけない。アラフィフのサラリーマンの抱負としては馬鹿げてるな。

この九年はアトリエを持つという目標に全振りしていた。傍から見れば変なロジックだろうが、アメリカからの帰国も就職も結婚も全てアトリエを持つために必要な狭い狭い選択肢を注意深く選んできたつもりだ。まず、アメリカではコンピュータ・サイエンスという大変面白い事をやっていたのだが、彫刻と両立させるほどには自分に能力が無いと分かってきて日本でサラリーマンをやる事にした。しかも日本で唯一稼げそうな自動車業界。それからアトリエを持てるまで長期戦になると分かっていたので、生活を安定させるために婚活を始めた。妙な野望を持ったばかりに精神を病む人というのをそれなりに見て来て、家族は必要だと感じたからだ。子供が双子だった事と、仕事が忙しい事は誤算だった。一時期は精神的肉体的に相当過酷だったが、今はかなりましになり、アトリエ付き住宅のローンを組み、今に至る。

ある日、子供を連れて行った図書館で、幼い頃愛読していたエジソンの伝記(西沢 正太郎 著)を見つけた。そこに、少年時代のエジソンがお母さんに地下室を与えられて実験室にしていたというエピソードが紹介されていた。自分のアトリエへの執着がどこから来ていたのか偶然にも理解してしまった。

エジソン (世界の伝記)

娘の退院その2

次女の喉の手術から20日ほど経った。診察によると、幸いにも傷口はきれいで回復は順調との事だ。隣で寝ていてもなんとなくいびきが減った気がする。姉妹で遊んでいる時はかなり大声を上げる事が出来るようになった。一方で手術によるダメージもそれなりに大きい。

一番目立つのが、つばを飲み込めなくなってしまった事だ。本人によるとつばが変な味なので飲み込めないのだと言う。常に口に溜めていて適当なタイミングで外に吐き出している。ということはつばが溜まっている間は口をつぐんでいて言葉を話せない。言いたい事があるときも「あー」とか「うー」しか言わないので何を行っているのか分からない。外出の時は首にタオルを巻き、吐く場所が無い時はタオルにつばを吐くようにしている。

また、引き続き匂いに敏感なので車に乗れないしリップも濡れない。ワセリンでさえ嫌がる。

痛みにも敏感になったようで、ちょっとした乾燥肌がお風呂で染みるらしくお風呂に入れない日があったり、一旦泣き出すと号泣になって手を付けられない。だっこをすると足をバタバタさせて逃れようとし、降ろそうとするとしがみついて離れないので、どうすれば良いのか分からない。

手術の傷自体は治ってきているはずなので、これらの問題は精神的な物なのだろうと思う。入院時の孤独と不安のダメージが癒えていないのだろう。多かれ少なかれ精神に一生消えない傷を付けてしまったのではないかと心配している。

実は妻とは、長女にも同じ手術をするかどうかで議論になっている。双子なので長女の扁桃腺も大きいのだが、体が大きめなので症状は少し軽い。扁桃腺やアデノイドの肥大は6歳がピークで、自然と治る可能性も十分にある。ただし、治るまでは中耳炎などにかかるリスクが大きい。私としては、次女が突然泣き出す姿を見てしまうと可哀想で手術なんてとんでもないと思ってしまうが、妻は手術で完治するなら済ませてしまいたいらしい。

最近の生活を記録する。

朝は 5:00 に起床する。顔も洗わずそのまま外に出て 11 キロ一時間ほど走る。最近買った AfterShokz という骨伝導ヘッドフォンを付けているのだが、これが滅茶苦茶快適だ。十年以上前からランニングの時にラジオを聞こうと試みて来たが、どのイヤホンもずり落ちて不快で長続きしなかった。AfterShokz は頬骨で聴くしくみなのでずり落ちる心配は全く無く、しかも外の音も良く聞こえるので安全だ。ランニングがとても楽しくなってしまった。いろんなポッドキャストを聴くが、特に Planet Money という番組が一番ためになる。

ランニングの距離はコロナで Work From Home が始まった頃は 4 キロだったが、慣れて段々伸びてきてついに 11 キロになってしまった。流石に一時間も走ってると健康に悪い気がするので、このへんで抑えようと思う。

家に帰ってシャワーを浴びると 6:30 頃になる。ミニミルをぐるぐる回して豆を挽き、モカエキスプレスという道具でエスプレッソを入れる。このアルミの小さいヤカンみたいな道具でコーヒーを入れると滅茶苦茶美味しい。会社にあるでかいエスプレッソマシンより美味しい。イタリア人の発明はすごい。

BIALETTI(ビアレッティ)直火式 モカエキスプレス 3カップ 1162

8:30 ごろまでにゴミを出してタイマーで洗っておいた洗濯物を干すと家族が起きてくるので、それまでの僅かな時間が自分のプライベートタイムだ。短すぎて大した事が出来ないのでもうちょっと早起きが必要だと思っている。朝ごはんを食べて妻が通勤ついでに子供を幼稚園に送ると 9:30 ごろになる。引っ越しして幼稚園が遠くなったので幼稚園は毎日遅刻する物と割り切っている。

一応 9:30 から 19:00 まで仕事タイムとしている。典型的な昼食は電子レンジで温めたご飯とキャベツとか大根とかハムを千切りにしたサラダ。あとふるさと納税で入手したサバ缶も結構好きだ。

妻と子供は 18:00 ごろ帰ってきてすマイルゼミという教材をやったり Amazon Primeポケモンのアニメを観る。スマイルゼミは字や足し算を教えてくれるはずなのだが、もっぱら落書きマシーンとして機能している。あと、大量にアマゾンの段ボールが転がっているので段ボールで家を作ったり自分で考えたポケモンの絵を描いたりしている。あまり色は塗らない。妻がボールペンと色鉛筆以外を禁止しているのでどうしても線画が中心になる。

夕食を食べて 20:30 頃までに子供を風呂に入れる。ズルズル遅くなる事もあるが、21:00 を超えると眠くなって風呂に入れなくなる可能性が高い。歯磨きをしてベッドに入るのが 21:30 ごろ。そこから絵本タイム。最近突然スラスラと本を読めるようになってしまい子供たちは各自読み始めるのだが、それだと何時までも寝ないので適当なタイミングで僕が絵本を読む。うまく行けば 22:00 までには眠りに就く。最近のお気に入りは『ファーブル先生の昆虫教室』ファーブル昆虫記を分かりやすいイラストでまとめたものだ。図書館で借りてあまりにも面白いので全巻買ってしまった。

ファーブル先生の昆虫教室

締め切り前などはそれから起きて深夜まで制作する事もあるが、最近は心が弱っているのでそのまま子供と寝てしまう。手術のあと次女はちょっとナーバスになってしまい夜中にお母さんがいないと泣き出すので、最近は妻が寝るタイミングでわざわざ次女を妻の部屋に運び妻と次女を一緒に寝かす。

という事で、コロナのお陰で子供と過ごしたり家事をする時間も長く健康的な生活を送っているのだが、もうちょっと作品制作や読書に時間を取りたいと思っている。

娘の退院

娘が入院して、手術して、退院した。扁桃腺とアデノイドの摘出を行った。手術の後に若い先生がお団子のような扁桃腺2つと、小さなアデノイドの破片(これはきれいに切り取れないらしい)を見せてくれた。

双子の扁桃腺は最初からかなり大きくて、その結果いびきをしたり無呼吸になったり、すぐに中耳炎になったりしていた。近所の耳鼻科では、手術をすれば良くなるかも知れないが、大きくなれば自然と治る事もあるので様子を見ましょうという事になっていた。僕も子供なのでそんな物なのかなと思っていたが、妻は手術に積極的だった。

そんな時、たまたま会社の同僚が子供のアデノイド手術をした時に参考にした本を教えてくれた。

『鼻のせいかもしれません: 親子で読む鼻と発育の意外な関係』

これを読むと、手術でめちゃくちゃスッキリすると書いてあるでは無いか。残りの人生を我慢して過ごすより、手術で治るなら今やっちゃった方が良いかなという気分になって、特に検査の結果が悪かった次女の手術をする事にした。コロナの影響もあるのか検査から手術まで一年くらいかかった。

入院から退院までの過程は可哀想としか言いようが無い。。。

入院前までは「お泊りだ」とワクワクしていたのだが、夜はお母さんと分かれるという事がよく分かっていなかったのか毎晩毎晩泣きどおしだったらしい。コロナ対策として一日三時間しか面会出来ないというのもキツかった。僕は手術当日しか会えなかったのだが、とにかく帰りたい帰りたいと泣いて訴えていた。

手術の前後に熱が上がって心配したが、幸いにも術後は良好で一日早めに五泊で退院出来たが、帰宅した娘はとてもげっそりしていた。喉が痛むのか「ウー」としか言わないし、よだれを拭くためにずっとタオルをくわえているしまるで禰豆子ちゃんのようだ。

特に匂いに敏感になったらしく、サバを焼くと嫌がるしヴェポラップをつけた人のそばに寄れない。まだしばらくは柔らかい物しか食べられない。声は三度くらい高くなったようだ。深夜には寝ながら思い出すのか突然泣き叫ぶなど、退院後の生活は大変だ。

という事で平穏な毎日がやってくるのはまだ先の事になりそうだ。

Maker Faire Tokyo 2020 「からくり計算器」ご報告と新作 Dr. Nim 2020 の紹介

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Maker Faire Tokyo 2020 からくり計算器

先週末は東京ビッグサイトMaker Faire Tokyo 2020 https://makezine.jp/event/mft2020/ に出品しました。新型コロナの影響で他のイベントも無くレストランも閉まりひっそりとした中 Maker Faire 会場だけは大盛りあがりで、なんとなく『漂流教室』っぽかった。ぼくたちは未来にまかれた種なのだ。

Dr. Nim 2020

今回の新作は Dr. Nim 2020 という対戦ゲーム(?) です。Dr. Nim とは 1960 年代に米国 E.S.R. 社によって開発された知育玩具で、Nim というゲームを行うコンピュータの動作をモデル化したものです。

このゲームは、置かれたビー玉を人間とコンピュータで交互に取ってゆき、最後に取ったほうが勝ちで、一度に最大3つまでのビー玉を取る事が出来るというルールです。

からくりで作られたカウンタ機構により、必ずコンピュータが勝利するつもりでした。ただ当日は私の工作が下手くそなせいで、結構人間が買ったり、ビー玉がどこかへ行ってしまって何度も勝敗不明になってしまいました。このゲームはルールの分かりやすさといい機構の難易度といい、かなり気に入っているので、今後も完成度を上げてゆきたいです。

今後の計画

もともと 20 年以上前に私がコンピュータをテーマに作品を作り始めた時の目標は、電気を使わない汎用コンピュータを作るというものでした。ただ、どうやらこの目標自体は Turing Tumble というプロジェクトで 2015 年頃に達成されてしまったようなので、現在色々な視点で方向転換を試みている所です。

一つの視点は「チューリング完全」という用語について自分自身で正確に把握する事です。なんとなく、自分自身を模倣出来るほど複雑な機械はチューリング完全なのだと曖昧に理解しているのですが、ある機械がチューリング完全なのかどうか自分で証明出来るようにしておきたい。

次に、機械式コンピュータの歴史を整理したいです。先に挙げた Turing Tumble は E.S.R. 社の Digi Comp シリーズの状態遷移機構を元にしていますが、機械式コンピュータの元祖である Zuse Z1 はむしろ私の機構に近い論理演算素子の組み合わせで出来ています。これら過去のアイデアを整理して見落としが無いか確認したいと思っています。今回私があえて E.S.R. 社の Dr. Nim をコピーしたのも、先人のアイデアから学ぼうという試みです。

また、やはり機構の美しさに焦点を合わせたいです。今回の Maker Faire でも意匠についてコメントして下さる方が多くて意外でした。なんとなくメイカーの皆さんはヘボい見た目を好む印象だったので。僕は出身が美術畑な反動で作品の美的側面については出来るだけ考えないようにしていました。今までは動きが美しければ見た目は自動的に美しくなる、すなわち機能美。見た目を第一に考えるなんて邪道だという方針でしたが、技術的にすごい作品を作ってる人は他に沢山いらっしゃるので、せめて見た目だけでも負けないように頑張ろう。。。と思い直しました。

最後に、作品をもっと頑丈にしたいです。今回も子どもたちに大人気でみんな熱心に遊んでくれました。最初は説明もちゃんと聞いてくれないしただガチャガチャ遊ばれて困ったなーと思ってたけど、僕の用意した説明なんか無視しても学ぶものがあるかも知れないし、もしかして僕が思いもよらなかった何かを発見してくれるかも知れない。僕も子供だったら話を聞かないで触るだろうなと思うので、作品の意味はともかく、単なるおもちゃとして扱っても大丈夫な作りにしたいと思いました。

展示作品

  • Dr. Nim 2020: メイカーフェア東京 2020 向けに制作した Dr. Nim の翻案です。
  • 木製半加算器リンク機構 2020: つくばミニメイカーフェア 2020 向けに制作したリンク式木製半加算器です。
  • ド・モルガンのリンク機構 2020: つくばミニメイカーフェア 2020 向けに制作したリンク式論理計算器です。
  • 木製全加算器 2019 REV4: メイカーフェア東京 2019 向けに制作した回転式木製全加算器です。
  • ド・モルガンの円盤 2019: メイカーフェア京都 2019 向けに制作した回転式の論理計算器です。
  • 木製半加算器 2017 京都アートスペース虹の 「非在の庭 最終章」 に出品した物の複製です。
  • 木製半加算器 2016: 大阪 ARTCOURT GALLERY の ART1 2016: Stepping into Fresh Snow に出品した物です。
  • ブールそろばん 2010: スライド式の論理計算器です。
  • 説明用チラシ: https://photos.app.goo.gl/duCunJyuFdvY1XeJA

参考

自宅購入の顛末

本当は Maker Faire Tokyo 2020 の準備をしたいのだが、仕事で疲れてどうにもやる気が出ないので酒でも呑みながら自宅購入の顛末でも書く。記録によれば、初めて自宅購入を意識したのは 2017 年の夏の事だ。この日初めて近所の新築マンションのショールームに行った。賃貸か購入かという果てしない議論があるが僕はどっちかというと賃貸派だ。将来に自信が無いので出来るだけ身軽な方が良い。新築マンションはキラキラして魅力的に思えたが、さらにその後の豪雨で武蔵小杉のマンションでうんこが禁止になった話を聞いたり、だれも管理費を払わなくなった湯沢の老朽リゾートマンションの話を聞くうちにマンション購入は無いでしょという事になった。

しかし実は、私には念願があって、いつか自宅に自分のアトリエを持ちたいと思っていた。もう 20 年近く大阪の倉庫に作品を保存してあるが、一生そこに置いておくわけにはいかない。もう歳も 50 近くこの先何年生きられるか分からない。生きているうちに自宅に自分のアトリエを持ちたい。そうなると賃貸では無理である。そう思ってアトリエになりそうなスペースのある中古物件を探し始めた。金が無いので新築は最初から断念している。

アトリエのある住宅なんかあるはずない!と普通は思うでしょう。しかし探せば意外とあります。中にはズバリ彫刻家の住んでいた住居というのが学芸大前にあって、めちゃくちゃ欲しかったのだが、高い天窓のある完全にアトリエに特化した住居で洗濯物を干す所も無いし寝るのは屋根裏なので家族の事を考えて諦めました。そこまで極端で無いにしても意外と自宅でバレエ教室をやっていた家とか、おばあちゃんが踊りの家元だったり、様々な家の形があるものだ。そうこう一年以上探しているうちに次第と自分と家族が家に求める条件が明確になって来た。

まず僕の条件はアトリエがあること。他は正直どうでも良い。アトリエがあれば寝るのは屋根裏でも良いです。あと奥さんは意外と駅チカを求めている事が分かった。駅チカとは贅沢な。しかしどの駅という条件は無い。めったに電車が通らない支線であっても駅チカは駅チカである。そして都心からはるか離れたローカル線のそばに、昔おじいさんがカラオケルームとして作ったという地下室のあるお家を見つけた。

莫大な借金と引き換えにその家を購入し、ダンボールだらけの地下室で今この文を書いている。大阪の作品をここまで運ぶとなるとさらに一仕事だが、とりあえず実現の目処は付いた。今ではなぜ人は無謀な借金をしてまで家を買うのか分かる。どうせ元気に生きられるのはあと十年やそこらだ。定年までに死ぬかもしれない(実際私の父は死んだ)。どうせ死ぬなら限度いっぱい借金をして、好き放題生きる方が良い。途中で死んで団信のお世話になるかも知れないし、最悪失業で借金を返せず家を手放す羽目になるかも知れない。だから何だ? 無難に賃貸に住んで一生アトリエを持てないよりよっぽど良い。

今更彫刻家として名を売るわけでも無い。郵便配達夫シュバルのように、自分のささやかなテリトリーの中で誰にも迷惑をかけず(家族にはすでに迷惑をかけている。ごめん)、借金を払いながら作品を作る。それが俺のやりたい事だ。

引越し二日目以降の記録

8月31日 (月) 二日目

この週は会社を休む事にした。冷蔵庫が止まり食べるものが無い事を想定して僕はあらかじめ朝食にパンを買っていた。しかしもったいないと言って冷蔵庫で多少冷えている食材で妻が朝食を作り始めたので僕は多少イライラしてしまう。

8:00 そうこうしているうちに引越しのサカイが到着した。9:00 と聞いていたので大慌てだ。早速養生が始まる。もうこうなるとなすがままに成り行きを見守るしかない。

9:00 に車で双子を幼稚園のお預かりに送る。まだ夏休み期間中だと思って制服を着せていたのだが、行ってみて通常授業が始まると聞いて焦る。幸い車の中に幼稚園グッズが置いてあったので何とかなった。

再度マンションに戻り撤去作業続き。どうやら梱包を丁寧にやってくれるのは最初の日だけで、二日目の作業員は持ち運び専門っぽいので、和室のゴザを剥がしたり、色々細かい作業をする。掃除機を持っていかれているのであちこちの埃が気になるが仕方がない。そうこうしているうちに部屋が空っぽになったのがお昼前。予定よりかなり早かったが、不動産屋を呼んで鍵を渡した。あちこち子供の落書きがあって申し訳ない。

引越し屋は20分だけ休んで引越し先で作業を開始するとの事なので、車の中でパンを食べながら急いで移動する。着くと丁度トラックが新居前の角を曲がるのに苦労している所だった。2トンロング二台のトラックがダンボールで満載だった。よくあの狭い部屋にこんな沢山に荷物があったものだ。手際よく荷物を屋内に運び込み、14:00 に開包係の女性たちと交代となった。あとは元にあった棚にダンボールの荷物を収めてゆく。

元の棚に戻すのが基本なので、棚を廃棄してしまった場合開包はできずにダンボールのままとなる。折角空っぽだった自宅がダンボールだらけになってしまった。それでも梱包開包を手伝って頂けるのは有り難い。途中まで作業を見届けて 17:00 に幼稚園の双子を車で迎えにゆく。寝てしまってもおかしくない時間帯だが、双子は引越しに興奮したのかずっと起きてお喋りしていた。

帰宅すると作業は終わっていた。近所のミニスーパーカップラーメンを買って食べて寝た。初めて親子別の部屋に寝る体験だったが、結局子供が夜中トイレに起きてそのまま親を探すので、なかなか難しい。子供部屋で添い寝して寝たら自分の部屋で寝てというのを繰り返すと寝不足になりそうだ。

9月1日 (火)

子供の幼稚園は遠いので引越し整理のため休ませた。洗濯機の設置。無線LANアクセスポイント (tp-Link Deco M5) の設置。コインランドリー。市役所で住民票を移動。機械の不調で待たされる。待っている間に聞こえてくる横のクレーマー的な人の話に耳を傾ける。

9月2日 (水)

この日も子供の幼稚園を休ませて引越し挨拶。半分くらいは不在。島忠で物干し台や箒を購入。Maker Faire 事務局に住所変更を伝え忘れていたので連絡。停電。

9月3日 (木)

物干し台の設置。これでやっと洗濯物が干せる。免許更新。MFT2020 作業、トリガ機構の実験。

9月4日 (金)

初めて近所を 8 km ジョギングする。近所のスーパーや百均を探索。昼食用のおかずを色々購入。無線アクセスポイントを壁にかける。部屋にハンモックを吊るす。『なめらかな社会とこれからの教育』視聴。

9月5日 (土)

引越し挨拶完了。ケーズデンキで食洗機を買う。前の住民が残していった山のような枝をゴミ収集のルールに従い長さ 50 cm 経 30 cm の束になるよう切る作業。果てしない作業に思えたが、ラチェット式剪定鋏を用いるとサクサク楽しく進められた。最終的に 6 束出来た。Flexispot の昇降デスクが到着する。半端なく重い。組立自体は簡単だったが、今後このデスクを動かす自信が無い。

9月6日 (日)

新しい外部モニタが到着する。27 インチ 4 万程度の安いやつ。国分寺で昼飯を食べたり無印で雑貨を買う。自治会に加入。不動産屋さんが様子を見に来る。明日のゴミの日に備えて残ったダンボールを結構たたむ。僕の夏休み最終日。