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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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The Tyranny of Merit

The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? (English Edition)

機知に富んだ問答で有名なマイケル・サンデル教授が、現在のアメリカの分断について語る滅茶苦茶面白い本です。多くのアメリカが大統領選挙結果をインチキだと思っているというのは極端な例だけど、日本でも分断は他人事ではありません。こういう分断がどこから来るのか不思議だと思っていましたが、ピッタリな素晴らしい本を見つけました。あまりに面白かったので二度読んで読書メモを書いてしまった。4月に「実力も運のうち」というタイトルで邦訳が出るようなので楽しみです。

INTRODUCTION:

2019 年に全米を震撼させた入試スキャンダルを枕に、大学入試の公平性について語ります。ある入学詐欺師によると、入学試験には「正門」「裏門」「横門」の三つの門があるそうです。「正門」は普通入試、「裏門」は高額寄付者や卒業生の子息の特別枠で、アメリカでは合法です。スキャンダルを生んだ違法な「横門」では、入試監督を直接買収してしまいます。

金銭で入学資格を得られるのは不公平だけど、果たして他の合法な二つの門は公平と言えるでしょうか? 裏門の特別枠は合法だけど当然不公平です。正門の普通入試は公平っぽく見えますが、合格者の多くが高額所得者の子息であるという統計から公平性が疑われています。

1 WINNERS AND LOSERS

グローバル経済によって貧富の差が広まりましたが、アメリカ人は伝統的に貧富の差を許してきました。いくら貧富に差があっても機会が均等であれば誰でも大学で学んで成功のチャンスが巡ってくるという「実力主義」を信じてきたからです。しかし現実には大学生の多くを富裕層が占め、階層間の移動は難しいみたいです。

一方で、実力主義には倫理上の問題もあります。実際には環境によって学歴が大きく左右されるのに、勝者には今の地位を自分だけの力で勝ち取ったという奢りを植え付け、敗者には自分の責任への恨みを生みます。トランプ主義者たちの本当の怒りの対象は移民や輸入ではなく、このような「実力主義の横暴」でした。

60 年前にイギリスの社会学マイケル・ヤングは、階級社会の解消が実現し完全な機会均等が実現した世界が、実は勝者に傲慢を与え敗者に屈辱を強いる過酷な世界だと述べました。

2 “GREAT BECAUSE GOOD”: A BRIEF MORAL HISTORY OF MERIT

実力主義は一見当たり前に思えますが、努力が実を結ぶという考えは裏を返すと「自業自得」「因果報応」にたどり着きます。この章では西洋における因果報応の思想史を振り返ります。

聖書のヨブ記では、信心深いヨブがなんと神とサタンの賭けの対象にされます。ヨブから財産と子供を奪い、なおかつ信心を保てるか勝負しようと言う酷い話です。何も知らない哀れなヨブは、友人からは因果報応を疑われるが思い当たる節が無く途方に暮れます。

アウグスティヌスによると、因果報応は神に反するそうです。もしも善行で自分を救済出来てしまうなら神は要りません。神は万能であるからして救済は神の気まぐれで行われるはずなのです。しかしこれでは人はお布施もよこさずミサにも来てくれなくなる。困った事になるので教会は実益を取って因果報応を説くようになってしまいました。

プロテスタントは因果報応、特に免罪符への抗議から広まりました。神への捧げに見返りを求めてはならない。死後の救済は神のみぞ知る。しかし、自分が救済されないかも知れない不安から人々は「天職」に身を捧げるようになり、皮肉な事にその勤勉さは蓄財と資本主義を生み出しました。

ここで、勤勉さが天国への救済に繋がる事が「実力主義の横暴」を生み出します。つまり、宗教的な「因果報応」と世俗的な「実力主義」が同一視され、成功が自分自身の正しさの証明となるのです。自己責任は感謝や謙遜より優先されます。

なぜかサンデルは西洋以外の例として、恥ずかしい事に東日本大震災当時の石原慎太郎の言葉を借ります。

「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」

3 THE RHETORIC OF RISING

1960 年代の主要な米英の思想家は偶然の才能によって所得が決まる実力主義を拒否しました。ケネディ以前に大統領が「皆さんは報われる」という言葉を使う事は無かったそうです。近年「努力すれば報われる」という考えはアメリカ社会に浸透したスローガンですが、実はレーガンからオバマまで最近 40 年のものでしかありません。

1980 年代にはサッチャーレーガンの市場重視政策によって実力主義が強調されるようになりました。レーガンは「やむを得ない理由で失敗した者を助ける」と述べ、クリントンは「全てのアメリカ人は神が与え導いた才能に従い成長する権利があるだけでなく義務がある」と述べました。オバマは労働者階級からプリンストンとハーバードを卒業した自身の妻を例に挙げさらに実力主義を推奨したましたが、トランプは大統領選挙中一切そのようなスローガンを口にしませんでした。

「努力すれば報われる」は「報われない者は努力しなかった」の裏返しです。大学を卒業しない大衆にとって、実力主義は持たざるものへの厳しい裁きと映ります。トランプ支持者たちは実力主義の傲慢に背を向け、トランプ大統領を生み出してしまいました。

4 CREDENTIALISM: THE LAST ACCEPTABLE PREJUDICE

国際化による安価な海外製品の輸入と労働力の流入で庶民の所得は低迷し貧富の差が広がりましたが、1990 年代と 2000 年代のリベラル政党は直接の対策を怠りました。代わりに機会均等を推し進める事でこれらの問題に対処しようとしました。教育こそが不平等への回答だったのです。

しかし教育の偏重の副作用として、大学を出ていない庶民から自負を奪ってしまいました。学業の偏重は暗黙のうちに大学を出ていないアメリカの過半数の労働者への差別を生みました。社会から人種差別や性差別が憚られる一方で、公然と学歴差別だけが残ったのです。

2000 年代には多くの政治家が大学卒業資格を持つようになりましたが、歴史的に見ると政治判断の評価と学歴には関連がありませんでした。ニューディール政策を行ったルーズベルトの選んだ閣僚の多くは大学を卒業していなかったし、戦後の世界秩序の構築で名高い英国のクレメント・アトレー内閣の多くは炭鉱夫出身でした。

内閣の多くを高学歴保持者が占めると政治の分断が進行しました。オバマは正しい情報を広め、無知な大衆を啓蒙する事によって地球温暖化対策などの政策を実現しようとしましたが、国際化を振興し所得格差を容認するエリートを信用しなくなった大衆の支持を失いました。

5 SUCCESS ETHICS

ここで、同じような不平等な二つの社会を想像してみます。どちらも上位二割の富裕層が所得全体の六割を得ているとします。ただし、片方が身分によって所得が決まる階級社会で、もう一方は努力によって所得が決まる実力社会です。さて、どちらが幸せでしょうか?

一見実力社会の方が良さそうですが、もし自分が運悪く貧しい身となってしまったらどうでしょう? 階級社会では、自分の境遇が偶然の身分によるものだという事を多くが認めています。豊かな者は感謝を失わず、貧しい者にも自負があります。一方の実力社会では、貧しい者は努力が足りないとして顧みられることはありません。モラルの観点から階級社会や実力社会よりマシな制度は無いでしょうか?

フーリドリッヒ・ハイエクの自由市場主義によると、不平等を解消するための全ての政府の規制や税制を否定して市場に任せるべきだそうです。ただし、貧富の差は市場の偶然の結果であって実力や努力とは関係ないと主張します。

ジョン・ロールズ福祉国家自由主義によると、個人の能力を社会の共有財産とみなし、そこから生まれた利益は広く共有するべきだという事です。どちらの考えも能力は正義ではないと主張していますが、それでも勝者の傲慢は避けられません。

6 THE SORTING MACHINE

実力主義の課題に応えるために、教育と仕事について再検討します。

1940 年代にハーバード大学学長のジェームズ・コナントが入試改革に乗り出す以前のアメリカの名門大学は、上流階級のプロテスタントの子息が勉強せずにパーティーやスポーツを楽しむ場でした。マンハッタン計画に化学者として参加した事もあるコナントは遊んでばかりの大学生を見てアメリカの将来を憂い、アメリカの指導者を育てるために全米から優秀な高校生を集めようとしました。高額な塾の指導で成績が上がる学科試験ではなく、両親の経済環境に左右されない高校生の潜在能力を測る知能テストとして SAT を設計したのです。

コナントに他の大学も追従しました。学生の学業レベルは向上し、白人エリート以外への学問の門戸は広がりました。一方で、大局的に見ると大学はあまり社会階層間の流動化に寄与しませんでした。潜在能力を測るとされた SAT にもすぐに私塾が対応し、富める者が有利な状況は変わりませんでした。代わりに行き過ぎた過酷な入試戦争が残り、青少年の精神の成長成長に甚大な障害をもたらし、受験の勝者に傲慢を生み出しました。

サンデルはこの問題への対策として、くじ引きで大学入試を行うべきだと主張します。加えて SAT 足切りとして使い学生の履修度を保証すれば授業の運営にも問題が無いそうです。

7 RECOGNIZING WORK

第二次世界大戦までは、学歴がなくても十分に家族と仕事を持つ事が出来ました。今日では学歴による格差が広がり大衆は困窮を極め絶望のあまり酒やドラッグで命を失う者も増えています。リベラル政党は手厚い社会保障でこの問題に対応しようとしたが、大衆の支持を得られていません。これは問題が単に経済的なものでは無いことを示しています。

失業の傷を失業保険で癒やすことは出来ません。失業保険の痛みは単に収入が途絶える事ではなく、社会に貢献する機会を失う事です。リベラルが試みたのは経済の成果を公正に分け与える事ですが、選挙民の求めているのはただ与えられる事ではなく、労働を尊重し、公正に社会に貢献し、社会的に評価される機会なのです。市民として私達に与えられた最大の役割は消費ではなく、創造です。

勤勉や社会貢献は歴史的に長く尊重されてきましたが、近年の政治はむしろ主に消費に目を向けてきました。公正な労働の尊重、人生の評価というのは価値観が多様化した現在においては難しいです。一方で消費者を満足させ、GDP を向上させるという目標には議論を挟む余地が少ないため、政府は消費者を満足させるために、国際化を進め、輸入と移民を進め、機械化を進め、勝者と敗者を生み出しました。

有権者の多くが敗者と感じてしまうような政策は持続しません。ここで労働の尊厳に焦点を当てた二つの政策を紹介します。

ある保守派は低所得者の給与を援助する負の所得税を導入し、製造業や鉱業のコストを下げるための環境規制を軽減するべきと主張します。消費者ではなく、生産者を守るためには輸入や移民を減らしても良いのです。

ある革新派は所得税を軽減する代わりに消費税、財産税、金融税を強化するべきと主張します。近年のハイスピード・トレードや金融商品の発達は金融関係者に大きな富をもたらしましたが、実質はただの賭博で人々の生活に貢献していません。このように税によってモラルを操作するべきです。

CONCLUSION: MERIT AND THE COMMON GOOD

アメリカン・ドリーム」という言葉を生み出した James Truslow Adams にとって、この言葉はただの出世ではなく、民主的で公正な社会の実現を意味していました。彼はこの理想を国会図書館の中に見出しました。閲覧室の中で、老いも若きも、富める者も貧しき者も、黒人も白人も、経営者も労働者も、学者も学生も、等しく公共の知を享受している。これこそが「アメリカン・ドリーム」です。

実力が努力ではなく偶然の結果であると自覚し、寛容の心を持つことが、我々の分断から立ち直るための第一歩になるでしょう。