言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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長女が鮭の骨を取る

いつの間にか小学六年生の長女が鮭の骨を取れるようになった。しょうもない話だが、私にとっては少々因縁めいた話だ。二年生の時に、長女の不登校のきっかけとなった事件が起こった。義弟が釣った鮭を妻が台所で捌いていて、横で見ていた長女の足に出刃包丁を落とし、11針縫う怪我をしたのだ。それからは何となく鮭の話をしないようにしていたのだが、特に教えてもいないのに長女が鮭の骨を取れるようになったので、鮭には小骨がある事や、以前家で捌いた事がある事をそれとなく話した。無反応だった。トラウマ治療にはエキスポージャ療法と言って、トラウマの記憶を思い出して安全である事を再確認するプロセスが必要らしい。今まで長女には耐えられないと思ってたけど、そろそろ検討しても良いかも。

怪我のせいか不登校のせいか、長女の成長は遅い。六年生にしてはできない事が沢山ある。いまだ歯磨きがちゃんとできなくて、私が仕上げをしている。算数もわからない。でも遅いだけで、成長が止まっているわけではない。みんなに合わせて成長しないといけない義務があるわけではなく。本来教育は個人の成長のスピードに合わせるべきだと思う。学校ができる以前の子供はそれぞれ家庭で育てていたので、きっと今ほど育つスピードを心配しなくて良かったろうな。現代の子育ては辛いな。

そんなわけで、少しづつ回復に向かっていると思いきや、さっきは「なんか変な感じがする」と言って長女が泣き出した。不定愁訴だ。うちの子の場合完全に意味がわからない不定愁訴は稀で、大抵お腹が空いていたり熱の出る予兆だったりする。ただ現時点では原因がわからないので泣く長女を前にオロオロするばかりだった。なぜか妻も同時に機嫌が悪くなり、「ご飯を食べないからだ」とか「運動しないからだ」とか長女を責め出したので険悪なムードになったが何とかお風呂に入れて寝かす事ができた。

気を遣う週末だった。

池袋 CCFOLIA BOOKS にゆく

この春から突然始まった長女の週末スタバ通いはまだ続いている。だいたい私が誘うのだが、今日は長女から「スタバ行きたい」と言ってきた。実は先月末に訪問医療の先生にセルトラリンを 1.5 倍 (25mg x 1.5) に増やして頂き、薬効のせいか最近長女に積極性が出てきたように思う。もともと声が大きくて饒舌だったがさらに加えて騒がしくなった。薬ってすごい。スタバの前後で話すのでだいぶ長女の考えを理解するのが楽になった。

とはいえ、いまだに外出のハードルは高い。今日は長女が TRPG で利用している CCFOLIA というネットサービスのリアル店舗が池袋にあるのを見つけて何とか誘い出した。電車で行く自信がなかったので面倒だが車で行った。

CCFOLIA BOOKS は西口にある綺麗な店で、若い女性客が多いのが印象的だった。長女はどこかで見知った本やグッズの実物が置いてあったので割と興味深くみる事ができた。次女も TRPG が好きなのだが、お店の雰囲気にビビって終始俯いていた。それでも実店舗ならではの偶然のゲームとの出会いがあって良かった。クトゥルフ神話をモチーフにしたカードゲームと缶バッチを購入した。

そこからが失敗だった。欲を出して K-BOOKS ゲーム館に誘うと行きたいと言う。しかしそちらは池袋の地下街をしばらく歩かないと行けない。これはヒキコモリにはキツイ。結局途中でしんどくなり引き返す羽目になってしまった。ちょっとレベルが高すぎたと反省。なかなかちょうど良い難易度の体験は難しい。

喧嘩の一コマ

次女がアイスクリームを作った。レシピの「生クリーム」の所を「牛乳」にアレンジして作ったのでジェラードのようなさっぱりした美味しいものができた。さっそく長女を読んでみんなで食べようという事になったのだが。。。

ジップロックに入れて凍らせたアイスクリームはカチカチで、スプーンで崩しながらガラスの器に取り分けていると、長女がまだ途中のアイスをつまみ食いしようとした。今は留守のお母さんの分も平等に分けたいので、ここでつまみ食いされては量が分からなくなってしまう。次女が「まだ食べないで」と指摘したのだが、一旦食べたくなってしまった長女は止まらず、大喧嘩になりかけた。

私は長女の頭を撫でながら、「もうちょっとだから我慢しようね」となんとかなだめた。

側から見ると小学六年生にしては随分幼稚なやりとりに見えるかも知れない。不登校の原因になった怪我の日以来、長女のある部分はまだ幼児のままだ。最近は減りつつあったので、この幼児返りのような振る舞いが印象的だった。

世の中には色んな嫌な人がいる。自分勝手だったり、すぐ怒ったり、他人のせいにしたり、本当に信じられないくらい嫌な人がいる。自分の娘のそういう振る舞いを見るのは辛いが、人はそれなりの事情があればすぐに嫌な人になるし、薬である程度簡単に治る事も分かった。

道徳の系譜学 ニーチェ著

ある日長女が言った。「パパ。僕は哲学に興味があるんだ。」

よろしい。ならば論争だ。

私は渾身の力をこめて厨二病の元祖ニーチェの『道徳の系譜』に取り組み、図にまとめることにした。

まず書名の「系譜」とは、歴史という意味らしい。歴史的な事実(?)から道徳を定義する試みだ。歴史上もともと「善」とは強者である自分達のことであり、「悪」とは弱者である他人のことらしい。これを(1)「高貴な人間」の道徳と呼ぶ。

一方これでは弱者はやってられない。弱者には力が無い代わりに信仰がある。弱者にとっては敵である強者こそが「悪」であり、弱者である我々は「善」に違いない。現実がどうあれ神への信仰さえあれば心の中は逆転できるのだ。これを(2)「ルサンチマンの人間」の道徳と呼ぶ。ここまでが本書の第一論文。

一方で、神への信仰によって無理やり心の中で強者になった「ルサンチマンの人間」には歪みが発生する。もともと人類は都合の悪いことを忘れて天真爛漫に生きる(1)「能動的な忘却」・「無垢」な存在だったわけだが、神によって膨張した自意識はまるでアレルギーのように自分自身を傷つけ、(2)「疾しい良心」を生み出した。この歪みを生み出した内面化というのは、他人ばかり批判する人が強すぎるこだわりのために自分自身を傷つけてしまう現象の事だ。ここまでが第二論文。

さて、ここからが結論になる。疾しい良心から助かるために、人は(3)「禁欲」すなわちガマンによって逃れようとした。このガマンがさまざまな人間的な文化を生み出した。ガマンが体に悪いとわかっちゃいるが、何も無いより無意味に埋もれる方がマシなのだ。ここでニーチェの一番厨二病っぽいフレーズを引用する。

何も意欲しないよりは、虚無を意欲することを望むものだということである。── わたしの言いたいことが理解していただけるだろうか?……伝わっただろうか? 先生、まったくわかりません! ── 第三論文第一節

本当の解決のためには神(とか、国家とか、抑圧する強いもの)を捨てる必要がある。その欲望が(4)「力への意志」であり、「芸術」なのだ!それを我々は「第二の無垢」と呼ぶ。

というお話でした。

おかえり

自宅に帰ると次女が玄関に出てきて「おかえり」と言ったので僕はびっくりした。

不登校になる前は、こんな感じで普通だった。双子が小さかった頃なんか僕が帰宅するのが大イベントで、二人でキャーッ!!と大声をあげながら走って玄関にやってきて、抱っこしながら延々と大声でわけのわからない話をしていたものだ。不登校になると僕が帰っても完全に無視で、いつの間にかそれが当たり前になった。だから次女が玄関に出てきてびっくりしてしまった。

特に他には何も変わった事は無く。普通だった。それから僕が帰るとたまに玄関に来るようになった。

次女は大人の行動が気になるようで、最近はこのようになんと無く親のそばに来たり、親の会話に口を挟むようになった。今日も妻と話していると「なんの話?」と会話に参加してきて、挙句の果てに「パパはスマホばっかりいじってママの話を聞いていない!」と指摘してきた。

長女の変わった事といえば、最近洗濯物を畳んだ。昔いっとき洗濯物を畳ませていた頃があったのだが、ここ半年くらいは調子が悪く、頼んでも畳んでくれなくなった。ある日妻が夕方出かける用事があった時に、長女に「洗濯物取り入れて畳んどいて」と頼んだ。妻も言ってみただけで本当に畳むとは思っていなかったが、いつの間にか畳んでいた。

どうでもよい話だが記録しておく。

ゴールデーンウィークの記録

  • 5/2 (土): 義母に子供の世話を任せて久しぶりに夫婦で外出する。三鷹「キュルティベ」で昼食。マニアックな料理だった。美術館で太宰治の展示を見る。太宰治の悪人ぶりにびっくり。昔住んでいた三鷹台を散策する。
  • 5/3 (日): 朝長女をスタバに連れてゆく。夕方公園で瞑想。林の下で耳栓をつけて木漏れ日を眺めると「パーフェクト・デイズ」気分を味わう。
  • 5/4 (月): 朝長女をスタバに連れてゆく。午後次女を本屋へ連れてゆきお菓子の本を買う。
  • 5/5 (火): 朝公園で瞑想。ベンチの隣に知らないおじさんが座ってびっくりする。午後長女の WISC へ行く。待ち時間に次女と神社。帰宅後サクサクカリカリドーナツ https://cookpad.com/jp/recipes/19027527 を作る。
  • 5/6 (水): 朝公園で瞑想。午後コーナン。次女 WISC。長女はオンラインフリースクールの新スタッフに遊んでもらう。
  • 5/7 (木): 出社
  • 5/8 (金): 出社
  • 5/9 (土): 次女を「アランデル」に連れてゆき魔法っぽい雑貨を買う。妻が長女をモスバーガーに連れてゆく。
  • 5/10 (日): 朝長女をスタバに連れてゆく。

ずっと罪悪感について考えている。例えば、子供を見ないで家事をするのに引け目を感じると妻に相談を受ける。もしかしてその間勉強を見てあげたり外に連れ出してあげたほうが良いのではと。現実的には子供は勉強できないし外出もできないので無駄な引け目だ。また、小学校で特別に別室に給食を運んでもらう引け目も多少ある。不登校には、うっすらとこのような小さい罪悪感が付きまとう。この罪悪感に良い事は何もなく不合理なだけだ。この不合理な感情を整理したいと Claude に相談すると以下のような本を勧められたので最初の『道徳の系譜』から読んでいるが遠い感じだ。

  • ニーチェ『道徳の系譜』(1887)
  • マルセル・モース『贈与論』(1925)
  • デヴィッド・グレーバー『負債論』(2011)
  • メルヴィン・ラーナー「公正世界仮説」(Just World Hypothesis, 1980)
  • ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』(1979)
  • マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門 ラス・ハリス著

ACTの6つの基本原理

和訳タイトルが非常に怪しく損していますが、心理療法ACTの定番書籍のようです。

不登校の親をやっていると理不尽な気持ちになります。怒ってはならない。子供に登校を促してはならない、躾を無理強いしてはならない、八割程度できそうな挑戦を用意しなければならない。などなど、不登校の理想の親を演じるには多大な努力忍耐力が必要で、真面目に全部受け止めると病気になってしまいそうです。そういう話を AI に相談して教えてもらったのが ACT という心理療法でした。

ACT (Acceptance & Commitment Therapy) では、以下の六つの基本原理に基づき無理なく心の健康を守ります。

  • 脱フュージョン: フュージョンとは、思考と現実を混同してしまう事です。くよくよした悩みも自信過剰もどちらも現実ではありません。脱フュージョンとは、「私は「...」と思っている」のように自分の考えを第三者視点で捉えて思考や感情に捉われないように試みる事です。
  • 拡張: 不快な感情に無理に争わず心を拡張して受け入れます。
  • 接続: 過去や未来に囚われず現在を意識します。
  • 観察する自己: 脱フュージョンと同じ気がするので省略。
  • 価値: 世界とどのように関わりたいか。心の奥底の欲望。
  • 行動: 価値に基づいた小目標。

と、大まかにこんな感じです。この本では脱フュージョンの技術に頁の多くが割かれていますが、私には最高位の原理である「価値」の明確化と、六つの基本原理のゴールである「心理的柔軟性」の獲得が最大のテーマだと感じます。つまり、ACT を一言で言うと、「価値」の実現のためにあらゆる手を尽くすべきであり、もしも我慢を含む思考や感情が「価値」と相反した場合には「脱フュージョン」「拡張」「接続」といった手段により「心理的柔軟性」を高めて「行動」により「価値」に近づく事。だと思いました。また、プログラマの三大美徳「怠惰、短期、傲慢」の非常に凝った言い方という気もしました。

以下本を読んで得た私の直近の課題への回答です。

まず、子育てに必要な親の我慢力をどう鍛えるか? ACT によれば、我慢 = コントロールは無理との事なので、脱フュージョンによって課題を俯瞰的に捉え、我慢しなくても済む仕組みを作る必要があります。仕組みを作るのに我慢が必要な場合は深呼吸によって頭が働かない自己を受け入れ諦める(?) しかないような気がします。。。

また、今まで私は子供の自尊心が低い事がヒキコモリに繋がっていると考えていましたが、ACT によると自尊心とは事実では無いので脱フュージョンの対象という事です。つまり、自尊心の無さというのも受け入れるべきであって無理にコントロールできない物というわけです。自尊心を高める事を目的にするのではなく、本人の価値観や方向性を明確にしてそのために必要な行動をとる事が大切で、自尊心の有る無しは心のどこかにしまっておくべきらしい。

そんなわけで、どれも今流行りのマインドフルネスに即したアドバイスで違和感はありませんが、例えば「コントロール」という言葉を「現実逃避」のように狭い意味で使うなど、ちょっと言葉が特殊で読みにくかった。もしかしてこの著者の独自の言い回しかもしれないので他の ACT の本も読んでからまとめます。

図は AI 作です。