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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

2023 年における僕の人生の幸運と不運

前に願いは叶うか? という日記で願いは思いもよらない長い時間をかけて意図せぬ形で叶うという事を書いたが、その続きのような話を書く。たまたま自分の人生は10年おきくらいに大きな幸運と不運が同時にやってくるので過去を振り返り今後の対策とする。

1990年代はだいたい僕の20代に重なる。20代の僕は自分は現代美術で成功するために結構頑張っていた。彫刻制作は楽しいし、発表すれば評判が良いし、あの小難しい京都芸大の先生には十年に一度の逸材だと太鼓判を押されていたので結構やる気があった。ここでの幸運は1997年のキリンコンテンポラリアワード大賞受賞で、不運は貧乏な事だった。貧乏すぎて美術を諦めたが、制作への渇望は未だ癒えず今でも頻繁に夢に出る。

2000年代はだいたい僕の30代に重なる。30代の僕は生活を維持する事で必死だった。早くお金を稼いで再び彫刻を作りたいと願っていた。時給700円のホームページデザイン募集で面接を受けてなぜかプログラムの担当になり、案外自分はプログラマに向いていたと発見した。ここでの幸運は2003年の未到事業の採択と2007年の渡米と Viewpoints Research Institute への就職、不運は特にないけど、アメリカで大活躍する程の能力が無かった事かな。

2010年代はだいたい僕の40代に重なる。40代の僕は自分のアトリエを作る事に頭がいっぱいだった。長期戦になると分かっていたので中年の危機を乗り越えるためにまず結婚をして、毎日同じ時間に起きて寝る事にした。仕事は心底嫌だったが、案外生き延びた。守秘義務的にここで書けない面白い酷い目に一杯遭った。ここでの幸運は2019年の企業買収だった。ストックオプションでアトリエ付きの家が買えた(ただし金額は全然足らず30年ローン)。不運は双子の不登校と、会社をクビになった事だ。

2020年代は結構過ぎてしまったが、だいたい僕の50代に重なる。なんとか再就職して生きている。今のところ、会社と不登校の子供の世話で忙しく折角のアトリエも宝の持ち腐れだ。そろそろ運不運に振り回されるのは疲れた。僕に作品を作らせないのは社会的損失だ。不運とかもういいので運だけください。

という事で良いお年を。