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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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吉乃と菊乃、双子出産の記録

10月5日(日)

日曜日は雨で、朝から自宅で過ごす。さやは7時くらいから起きだして、粉ふきいもや柿のサラダなどを作っていた。僕は遅く起きだして、豪勢な朝食を食べる。パン、ソーセージ、ゆでたまご、柿サラダ、粉ふきいも。

さやは近頃いよいよお腹が大きいのに加えて、風邪をひいてしまい喉に痰が絡んで辛そうにしている。加湿器をネットで注文する。朝食後もさやと二人でダラダラと過ごしたあと、僕は雨のなか田無駅前をブラブラしケーキを買って帰る。

夕食は名古屋土産のきしめんのあと、デザートのケーキを食べてぼーっとテレビを見る。夜の10時ごろ、

「たかしさん、病院に電話しなきゃ!」
とさやが言う。破水だった。

タクシー会社に電話するが、正直に破水したと言うと他をあたって下さいと言われる。そこで別のタクシー会社に病院に行きたいとだけ告げる。やって来た高齢の運転手は、嫌な顔ひとつせず病院まで送ってくれた。病院では義母が待っていてくれたが、一旦分娩準備室に入るとさやには僕しか会えない。
ずいぶん長く待った。破水をしたのでもう分娩を始めなくてはいけない。夜はスタッフが手薄なので、明日の昼帝王切開という事になった。

強い雨のなか一旦自宅へ帰る。朝の4時頃だった。

10月6日(月)

9時半ごろ病院から電話がかかってきて、10時から手術をするのでその前に来てくださいと言われる。台風の日だったが、幸いにもすぐにタクシーが見つかり、手術室に向かう直前のさやの顔を見れた。帝王切開というのは事前に分かっていたのだが、本来の予定日よりも丁度一ヶ月早くなってしまった。11時頃、保育器に入った菊乃と吉乃が順番にやって来た。

とても弱々しく、やっと生きている感じだった。

しばらくしてさやとも面会が可能となった。手術は順調だった。

午後からさやの家族が来て、一緒に面会。さやはもう声が出なくなっていた。赤ん坊たちは NICU で保育器の中にいる。写真を撮って一階のセブンイレブンで印刷しベッドの周りに飾っておいた。息もとぎれとぎれだ。特に吉乃はほとんど動かない。帰り際吉乃が息でお腹が動いているのを見て少し安心する。菊乃はみゃーと弱々しく泣いて手足をバタバタ出来た。
台風はすっかり去り、良いお天気だった。

10月7日(火)

さやは出産の前から風邪をこじらせていて、痰を出す度にお腹に激痛がすると訴える。声も出ず、苦しそうにしている。まだ寝たきりで NICU に行けないので、また赤ん坊の写真を見せる。

10月8日(水)

さやがようやく立てるようになった。おっぱいも出始めた。車椅子を借りてさやと NICU に行くことが出来た。

10月9日(木)

さやが個室になった。わけを聞くと MRSA に感染したという。MRSA と言うのは病院で感染する最近で、薬剤耐性があるので感染すると隔離になってしまう。さやの風邪はまだまだ良くならないし、MRSA の影響もあるのではと心配になる。

10月10日(金)

僕も風邪を引いてしまったようで、朝から頭が痛い。午後にはもう仕事が出来なくなってしまって、急遽恵比寿の内科で診てもらう。凄く苦しいので見舞いには行かなかった。

10月11日(土)

さやの風邪はまだ良くならないし、MRSA もあるし、NICU にも歩いて行けない。しかしこれでもさやは月曜日に退院しなくてはならないと言われる。赤ん坊はまだ入院が続くので、毎日搾乳したおっぱいを病院に届けなくては行けない。ちょっとどうして良いか分からなくて途方にくれる。搾乳自体は上手く行っているようで一度に 50 ml 程採れる。

風邪がうつらないように念入りに手を洗いアルコールを擦りつけ、今日は初めてオムツを替えてミルクをあげた。僕のオムツ替えがあまりにも下手だったからか、双子がぎゃーと大声で泣きだした。何かまずい事をしたのかと心配になったが、看護婦さんは全く動ぜず。吉乃と菊乃が大声を上げて泣くのを聞くのは初めてだった。ちゃんと泣く事が出来るんだ。