言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

私は米が好きだ。どれだけ腹が足りてようが、炊き立ての白飯の匂いを負けて食べてしまう事が多い。先程も、朝に食べる筈の米をセッティングした炊飯器のスイッチを間違ってつけてしまい。飯の炊ける香りを部屋に充満させてしまった。隣の部屋でも、どうやら眠れぬ娘がいるらしく下手なカラオケ練習の声が鳴り響きとても落ち着かない。

米を食べている時の私に電話などしてはいけない。米食は一種の時間芸術と言える。炊飯器を通電した瞬間、物言わぬまでもすでにそれは始まっている。まずかすかにに漏れはじめる香り、そして次第に静かに、それでいて力強く立ち登る蒸気の音と力、始めちょろちょろ中ぱっぱ。湯気は次第にその勢いを増し、その頂点で一挙に気を吐く。そして静寂。

しかしその静寂から始まる本当のドラマ。はやる心を抑えてしばしその香に酔う。タイミングを合わせてお茶などをいれ、おかずを揃えて刻を待つ。実は何時の時点で食べ始めるのがベストなのかいまだに研究中である。10分後が良いのか、20分後が良いのか。おそらく季節や米質によって変動しているに違いあるまい。おかずの選択と順序もまた重要な課題だ。特に朝の限られた時間的制約の中でいかに演出するか。

幼い頃は、たとえば漬物などから食べ始め、納豆のような大物は最後だった。納豆などが最初に来るのは、若く潔癖な自分には耐える事が出来なかった。しかし現在の私は逆である。いきなり納豆とキムチ。茶碗の中では最初からクライマックス。二杯目にしてようやく漬物やお浸し。大切な事は、最後の一口は必ず白飯で締める事。茶碗を空けたあとで一口漬物をつまむ事は潔しとしない。

二杯目に納豆が混ざってしまうのは味のみに着目すると確かに分が悪い。しかしより大きな視点で、一つの行として考えた場合、一度汚した茶碗を白飯で清めるのはより深い意味がある。最後に汚れた茶碗を残してはいけない。何より後で洗うのに都合が良い。