言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

生後 1090 日 ガラペッタスってなあに?

ガラペッタスこんにちは!

ガラペッタスってなあに?
えと。ガラペッタス

ペッタスってなあに?
ガラペッタス

ガラペッタスってなんだ?
ガラペッタス

ガラペッタスかー。なに、ガラペッタスかー。ガラペッタスってなんだ?
えっとね、ガラペッタス

ガラペッタスなんだ。ガラペッタスさんは?
えとね、寝てる。

寝てる?
うん、そうよ。

見てみる?
うん。

https://photos.app.goo.gl/tJtBBAUSmeAoMUag2

私がガラペッタスを初めて聞いたのは五月の事だ。たまたま撮っていたビデオに映っていて気がついた。最初は次女から始まった。それから長女がガラペッタスについて言及するようになった。意味は分からないが、たまに「ガラペッタスってなあに?」と尋ねるようになった。

良くわからないので、オウム返しに「ガラペッタスってなあに?」と聞き返すと、答えは時によって違う。

「えーとね、ゾウさん」の時もあるし、「亀さん」になる時もある。

どこかで見たテレビ番組かなんかのキャラクターなのだろうかと思っていたが、探しても出てこない。

ガラペッタスとは何だろう。

生後 1078 日 初めての実験成功

長女が松ぼっくりを手に持って、「水につけて!水につけて!水につけたら閉じる!」と叫ぶ。

どうも要領を得ないが、もしかしてテレビで松ぼっくりを水につける実験でもしていたのだろうか。長女は言い出したら効かないので、コップに水を汲んでやって松ぼっくりを浸してやる。

するとどうか。何時間かたってもう一度見てみると長女の言うとおり松ぼっくりのかさが閉じている。

「すごいね、松ぼっくりが閉じたね」

長女は喜んで閉じた松ぼっくりを手に踊りだした。さて、今度は水から出して傘が開く所を観察しよう。

生後 1076 日 電動車いす

妻は幼少の頃に山梨県八ヶ岳地方で育ったのだが今でも縁があり年に一度は訪れている。今年も遅めの夏休みとして知人の家に二泊お世話になった。そこで印象に残った光景がある。

畑の中に佇むある集落に細い生活道路が複雑に折れ曲がっている。道路の両脇が用水路で車がすれ違えないほど狭く、車を運転する僕は恐る恐るハンドルを握っている。ふと目に入ったのは陽気に会話をする二人のお婆さん。二人とも誇らしげに電動車椅子に乗っている。

道路が塞がれて車を前に進めないのだが、電動車椅子の上で井戸端会議という状況が魅力的で、僕は少し離れた場所からじーっとしばらく二人を見つめてしまった。そのうち会話が途切れたのか二人は別の方向に分かれ、こちらにやってきた一人と目が合い、なぜかお互い笑ってしまった。

僕がその時ふと思い出したのは、高校生の時に読んだ大友克洋の『AKIRA』だった。AKIRA では想像上の未来の生活が描かれているが、僕が 2017 年に実際に見たものは結構違っていた。普通の老人が普通の電動車いすに乗って普通に会話する光景、全く普通の光景だけど、もし高校生の僕がこれを見たら絶対思ってたんと違うと言っただろう。

高校生の僕にとっての電動車椅子は、機械化が進んだ陰気な都会のシワシワの超能力少年少女の萎えた身体の表現に見えたが、実際の電動車椅子は若者のいない農村で逞しく農業を続ける老人達の自慢の移動ツールになっていた。とにかく、現実の方が想像よりかなり面白く魅力的だった。

僕はそんな気持ちをお婆さんに見透かされた気がして照れ笑いをしたのだが、お婆さんがそもそも何故こっちを見て笑いかけたのかは謎だ。

対称とは何か?

対称とは何か何十年も考えてやっと分かって来た気がしたのでメモ。

子供の頃から対称とは何かずっと考えてきた。色々な説明を読んでも、対称の例はズラズラ書いてあるけど、ずばりある物が対称かそうでないのかはっきり見分ける方法が良くわからなかった。所詮人間の言葉なので曖昧なのは仕方がないが、それにしても気持ちが悪い。なので、ある定義をまず考えて、もしそこからズレる対称があれば改めて考える事にした。

  • ある値がある。
  • ある変換がある。
  • ある値に対して、ある変換を続けて行う。元の値に戻ったらその軌跡を変換を適用した対称形と呼ぶ。
  • 元の値に戻らなかったら対称では無い。

ようするに、LOGO 的な定義だ。ある点から始めて、まっすぐ 100 歩進んで右に 120 度回るを繰り返すと正三角形が出来ますというやつだ「正三角形はまっすぐ進んで右に 120 度回るを適用した対称形である」。素直にアフィン変換を使うと普通っぽくなる「正三角形は中心点から120度回転を適用した対称形である」。図形じゃなくても x^2 + xy + y^2 のような記号にも適用出来る。ただこれだと、例えば渦巻きとかフラクタルな図形で元の点に戻らないやつは対称では無くなってしまうが、スタート地点としてはまあまあかなと思う。

生後 1041 日 海

三浦半島の横堀海岸に行ってきた。学校のプール程度の小さな浜で、幼児には丁度良い大きさだった。特に狙って行ったわけでは無く、我々に計画性が無いので一週間前に取れた宿がたまたまこの浜の最寄りだったというだけの話だ。それでもこのハイシーズンにも関わらずガラ空きだという、東京近郊の穴場スポットを知ることが出来て良かった。水も結構綺麗で、水底のウニを眺めながら泳ぐ事が出来た。

双子たちはまだ全然泳げないので、水に入れる時は一瞬パニックになってギャーギャー騒ぐが、そのうち落ち着いてパンツ付きの浮き輪でプカプカ浮きながらあっちに行けこっちに行けと指示を出して楽しんでいた。このくそ暑い中水に入れるだけで満足してもらえるので海というのはなかなか便利なものである。

実は私自身に楽しい海の思い出はあまりなくて、子供心にザラザラした砂とか、ヌルヌルした海藻とか、気持ち悪いフジツボだとかが苦手だった。なので成人してからも出来るだけ避けて来た都合上いまさら海に行くと分らないことが多すぎて困る。例えば泳いでいる間財布や鍵をどうするべきかとか、砂だらけになったサンダルの処理等の暗黙知を今から一から覚える羽目になっている。

  • 車で行く場合車に水タンクを積むべし。砂浜でサンダルの水を落としても駐車場までにザラザラになってしまうので、水で砂を落とすのに便利。水が無いと砂を落とすのはめちゃくちゃ面倒くさい。
  • ポップアップテントが便利。おやつや着替え等の荷物を置く。ゴザでも良いが、食べ物を炎天下に置くのは抵抗がある。
  • メガネの人がメガネ無しで海に入るのは度胸がいるが、度入りの水中メガネで何とかなる。
  • 携帯を防水バッグに入れて海に入っていた人もいた。怖いけど大丈夫なのかな?
  • サンダルよりマリンシューズが便利。サンダルは水の中では使えない。
  • 岩のある所で砂を落として陸に上がると砂がつきにくい。
  • 砂浜には海の家というのがあって、海水浴に必要なサービスを一通り提供している。
  • 貴重品は海の家のロッカーに預けられる。
  • 海の家のシャワーを使っても良いが、どうせならあと数百円出してスーパー銭湯に寄って帰ると快適。

ちなみにここに隣接して油壷マリンパークという昭和の薫りの水族館も素晴らしかった。大阪万博とか好きな人にはたまらないレトロな雰囲気。この成り立ちも面白く、東大の末広恭雄という水産学者が魚の生態を広めるために書いた『サーカス水族館』という SF に感動した東急の社長が、サーカス水族館の世界を実現するために作ったという事だった。

生後 1007 日 夏の下痢

ここ数ヶ月の出来事を書く。

我が家では毎年二度、お正月と父の命日のある六月に大阪の母の家に帰る事にしている。今年は特に東京では見られないホタルを双子に見せてあげようと思って実家の近くのホタルが売りの宿泊施設を予約していたのだが、妻の持病の腰痛が悪化し、キャンセルする事になった。その時は整形外科でブロック注射を打ってもらい、何とか痛みを抑える事は出来た。ただ腰痛というのは難しいものらしく、完治の手立ては無いらしい。お医者さんも注射や湿布で痛みを和らげる事は出来るが、根本的な「子供を抱っこ出来るようになりたい」と言う望みは叶わない。怪しげな整骨院が流行るわけだ。

この夏こそおむつを取らねばとトレーニングパンツに挑戦中だが、既にあきらめムードだ。水遊びが悪かったのか下痢になり、うんこの始末で大変だった。トレーニングパンツというのは、ちょっとだけおしっこを吸う程度の厚い布のパンツで、トイレトレーニング中にお漏らしの不快感を学ぶためにあるらしい。おしっこくらいなら多少漏れても大したこと無いが、下痢だとパンツに収まらず、はみ出て部屋中撒き散らす羽目になってしまう。うんこ付きのパンツを洗うのも当然苦行だ。布おむつの時代はうんこを洗うのが日常だったのだなあと思うと文明の進歩に感謝せざるを得ない。下痢は次女から始まり長女に移った。長女は下痢のくせに食欲があるらしく、食べては下痢を出すので質が悪い。

新築マンションのショールームに行ってみた。今の自宅は築30年くらいの賃貸だ。夏が滅茶苦茶暑い以外は駅にも近く日当たりも良く気に入っている。でも最近近所が新築マンションブームで、折角タダで家を見せてくれるのでちょっと覗いてみた。

当然のことながら宣伝が上手で魅力的に見えた。まるでホテルに住んでるようなロビーです!という営業マンの宣伝文句に惹き込まれ、毎月のローンは今のお家賃よりも安いですよという明確な論理に納得し、次の日の重要事項説明会の参加申し込みまでしてしまった。ただ、今のアパートより特に広くもなく、こんなに大金をかけるのに夢がないなあと寂しい気がした。私の考える理想の家とは、ガレージに工場みたいな電動工具がいっぱいおいてあったり、二階から滑り台で下りてこれるようなのを想像していたのだが、マンションの部屋というのはきっちり 70 平米で間取りも 3LDK 全て洋室と規格が決まっており、そこから外れる物件は転売出来ないので作らないのだとの事だった。

妻の前職が建築業界なので、妻の元上司に色々裏話も聞いたのだが、どうやらマンションの設計には居室の設計というのは含まれておらず、ほとんどロビーと共有スペースの設計らしい。居室はもう完璧な物が設計され尽くしているのでもはや改良の余地が無く、それが 70 平米の 3DLK との事だった。特にマンションの購入者にとって転売時の価格が重要なので、その標準構成から少しでも外すようなリスクは犯さないものらしい。その話を聞いてなんか恐ろしくなった。

本当は双子の成長についてもっと書きたいが、思い出すのは双子が喧嘩で殴り合いになる事とか、夜中長女が突然泣きながら暴れだし妻がキレる事とか、電車の中で吐いたゲロを掃除した事とかで、なかなかポジティブな事が思い出せない。。。

生後 950 日 自転車

妻が自転車を買った。前後に子供用の座席が付いている電動の YAMAHA 車だ。結構高かったが滅茶苦茶満足している。週末は私の方が子供を乗せて運転している。ペダルにちょっと足をかけるとスーッと前に進んで行き坂道も楽々だ。あまりにも楽すぎてこれでは運動にならないと思い、たまにモーターのスイッチを切って漕ぐ。それでも 20 インチのガッチリしてダサいフレームは安心感がある。子供たちも「自転車たのしー!」と大喜びだ。車と違って運転中も子供の近くに居られるのも良い。

双子たちは二歳半を過ぎたので、大きさ的に前の座席に座るのがギリギリになりつつある。なんでもっと早く買わなかったのだとちょっと後悔。これからさらに大きくなると私の自転車にも後部座席が付き、その後は子供たち用の自転車を買ってやらねばならない。悩ましいことに、うちのアパートには駐輪場が一家二台分しか無い。なので、子供に自転車を買うとなると、部屋に上げるか、その辺に放置する事になる。私の子供の頃は家に自転車が沢山ある事に何の疑問も抱かなかったが、自分が親になるとそういう基本的な事が難しいという東京の住宅事情がツライ。

先週は自転車で隣町のバザーに行った。某園 (保育園でも幼稚園でも無い子供を預かってくれる所) の資金集めに参加したのだ。久しぶりにああいう所に行った。朝 7:30 から準備を始めて、まだ店開きの前なのにもうお客さんが来る。しかもなんだかマニアックなおじさん達が子供用のおもちゃを物色している。今まで知らなかった世界を垣間見て新鮮だった。開場後ウロウロしてみると、古着や古おもちゃを売る家庭的なブースの合間に古カメラ等を売るおじさん達がいる。品揃えが微妙に少なくて、本気で売ってるようにも思えない。幼児を連れているのでじっくり見れなかったが、バザーに出すというのはとても面白い趣味だと思った。

二歳クラスの親は売り子役を免れたので、隣接の図書館で絵本を読み聞かせて帰った。読書をほぼ電子書籍で済ますようになってしまっても私は図書館が大好きだ。本の匂いを嗅いでいると、子どもの頃の図書館を思い出す。本棚の謎めいた魔術的な知識の全てを一生のうちに自らの物にしなければと思っていた。残念ながら市の小さな図書館の本棚のレベルでさえまだ達成出来ていない。自分が Kindle 依存になってしまって言うのも何だが、子供の世代でもまだ図書館が残って欲しいと思う。

あ、そうだ。ゴールデンウィークに親に双子を預け、ようやく『この世界の片隅に』を鑑賞する事が出来た。幼児がいるとなかなか映画に行けないので、奥さんは電車に乗るのが久しぶりだと映画以前に都心に行くだけで感激していた。私も子供が生まれてからは映画を見てない事になっているのだが、実は奥さんに内緒で会社をサボりシンゴジラを観に行って以来だ。例のカベに風呂敷の荷物を押し付けて背中に背負うシーンからずっと目が惹きつけられた。奥さんはのんちゃんの声が可愛すぎると妙な部分に文句を付けていた。想像以上の映像化だと思ったんだけど。