言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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トイレットペーパー

私は子供の頃いつでも鼻水を垂らしている鼻タレ小僧だった。

鼻をかむためにティッシュペーパーが必要なので、母の教えで毎朝畳の上に正座し、ティッシュペーパーを八つ折りに十枚折りたたむ。それをズボンの後ろのポケットに入れて学校に行った。

それでも冬場などは症状も酷くなるので、十枚のティッシュペーパーではとても追いつかない。紙が無くなると服で拭うしか無いので、当時の私はいつもセーターの袖をカピカピにしている大変汚い子供だった。

幼い頃はそれでも良かったが、いつしかだんだん周りを気にするようになり、袖を汚すのは恥ずかしいと気がついた。ティッシュペーパーを余分に持ったり色々工夫したが、ある冬の日に、やはりそれではどうしても足りないという事になった。

鼻水が止まらず鼻をかむ紙もない。このまま我慢していると鼻から鼻水が垂れたままとなり、それはそれで恥ずかしい。かと言って袖を鼻で汚したくもない。思いに思い悩んで思いついたのが、トイレットペーパーで鼻をかむ事だった。トイレに行けばおよそ無尽蔵の紙が置いてある。多少ティッシュよりも固いとはいえ紙は紙だ。用を果たすには十分だろう。

しかしこの計画を実現するには大きな障害があった。小学生の暗黙のタブーには、大便所に入っては行けないという物がある。タブーを破ればドアの上から覗かれ、上から水をかけられ、うんこたれとからかわれる。ましてやトイレットペーパーで鼻をかもう物なら、肛門を拭くべき物で顔を拭いてしまった不名誉がこれからの学生生活にずっと付きまとう事だろう。私は鼻の穴から止めどなく流れる不愉快な液体と、大便所のトイレットペーパーで鼻をかむ危険との間で揺れ動いた。

しかし衆目の前で袖を汚す事に比べたら、大便所のトイレットペーパーにはリスクを犯す十分な価値がある。私は出来るだけひと目が付かず、かつ清潔そうに見えた理科室の横のトイレを選び、誰も居ないのを確認してこっそりと大便所に忍び込んだ。そしてトイレットペーパーで鼻をかんでいる等と悟られないように、出来るだけ音を立てず、静かに、細心の注意を払って、ゆっくりと、鼻の中の液体を薄膜に吐き出した。

トイレットペーパーは不愉快な私の鼻水と大便所のタブーを犯す恐怖を包み込み、下水の中に消えていった。鼻が軽くなりつい油断したのだろう。私はつい確認を怠り、何気なくドアを開けてしまった。目前には、トイレに駆け込んできた長谷がいた。

長谷は狡猾で目ざとく、何かというと他人をダシにして優位に立とうという奴だった。ここで出くわす相手としては最悪だ。私は頭に血が上り、自らの不注意を呪った。しかし最悪な状況でこそ冷静さが必要である。私は出来るだけ何気なく、出来るだけ低い声で、「おう、長谷」と声をかけた。長谷は何故かぎょっとした目で私を見返したが、私はそのまま振り返らず立ち去った。

驚いたことに、その後何も起こらなかった。うんこたれと囃される事も、あえて遠くのトイレを選んだ卑怯さを咎められる事も無かった。普段通りの放課後は、昨日よりも随分と暖かくなっていた。そして我々はいつしか大便所に堂々と入るようになった。