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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

陸上客船/解説

今回の東京観光で、久しぶりにカプセルホテルにお世話になり、改めて自分のカプセル好きを再確認しました。そこで思ったのは、どうにかしてカプセルで一生暮らす方法は無いだろうか?という事です。カプセル暮らしなら掃除しなくていいし、料理しなくていいし、風呂はでかいし最高です。あと、大きな荷物が持てないというのも、私のようないいかげん人間にはかえってよいかもしれない。

話は変わって街に失業者の溢れるこの日本。IT業界に勤める私も責任の一端を感じずにいられません。なぜなら、失業者の増加原因は、片やは新興工業国からの安い製品、そして片やIT革命による省力化にあるからだそうです。つまり私たちがどんどん世界を良くするために頑張ると、それだけ仕事にあぶれる労働者が増えるわけです。

経済に疎い私には、どうもこの辺のカラクリが分かりません。安い製品が増えるのも、仕事が楽になるのも、どちらも良い事のはずなのにどうしてこれで不幸な人が増えるのでしょうか?(この素朴な疑問に答える教科書を誰か教えてください!)

たぶん国という沢山の人々が参加するシステムには、個人の直感と反する特殊な現象が起こるのでしょう。それならまだ直感の届く範囲。夫婦や家族から始めて、数百人程度の個人が参加するシステムから順番に考えてゆくとどうでしょうか?製品が安くなり仕事が楽になる事が全体の幸福に繋がるシステムのヒントにならないでしょうか?

という妄想実験の一つがこの陸上客船。従業員が全員住み込みのカプセルホテルです。もしかして農村コミューン的な香りがするかも知れませんが、田舎ではなく都市に位置し、生産するのは野菜でも家具でもなくサービスです。なぜホテルかというと、衣食住で最もコストがかかるのが住だからです。

カプセルホテルに抵抗がある人がいるかも知れません。カプセルホテルでは、荷物は小さなロッカーに預けて囚人服のような館内着に着替え、多くのサービスは無料なので「個人の財産」が意味を持たなくなります。しかし、個人の財産など本当に毎日必要なのでしょうか?メールをはじめ写真など個人の情報がすべて共有サーバに格納されるクラウド時代、次にやってくるのは情報のみならず物理的な私たちの財産を共有する事で、超快適、超効率的な生活を実現するクラウド・ライフでは無いでしょうか?

しかし矛盾するようですが、ここで重要なのが各共同体のサイズを十分に小さく保つ事です。かつての日本の農村社会では、村民たちが画一的な振る舞いを要求されたにも関わらず、それぞれの村同士は豊かな多様性を持っていました。単なる東京の劣化コピーになってしまった現在の地方都市では考えられないほど、それぞれが独自の文化を持っていたのです。

たぶん、個人のアパートから一歩外に出た瞬間、東京中心の日本全体というグローバル社会に対峙せざるを得ない現代の構造が文化の多様性を破壊しているのでしょう(余談ですが、日本語の壁が更なる文化破壊から日本を守っていると言えます。もしも日本語が無ければとっくに日本はアメリカ化していたはずです)。陸上客船の経営に必要な数百人というサイズ、そして他の陸上客船との競争によって財産共有と画一化による文化破壊を防ぐ事が出来るでしょう。

とまあこのような事をM氏とだべっていたら、船のメタファでは無く、宿坊の方が良いのでは?というアドバイスを頂きました。宿坊というのはお寺に泊まるシステムらしいです。確かに日本ではそっちの方が受け入れられやすいかも知れません。是非宿坊についても調べて行きたいです。

あと、この計画のもう一つの目的は、財産のコモディティ化によるアート(芸術 = 絶対にコモディティ化し得ないもの)の復興にありますが、長くなったのでまたいずれ。