言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

土曜日の話。

午前 11 時ごろ起床ダラダラとパンを朝食を取ってそれから IKEA に向かう。道が込んでいて行くだけで疲れたので、とりあえず食堂でアップルパイとコーヒー。IKEA では掛け布団 (QUILT と言うらしい) を買う。記録の為書いておくが、暖かさ番号 4 番のやつにした。意外と夜寒いので。それから、ダイニングのコーナーで無茶苦茶悩んだが、やはりテーブルは買わずに座布団代わりのクッションを四つだけ買った。

悩みというのはこの部屋に食卓と椅子を置くか、ちゃぶ台のようなテーブルと座布団にするかという点だ。ちょっと前まではベッドもソファーも買ってアメリカンにしようと考えていたんだけど、アレックスの引越しを手伝ってからそのあまりの大変さに、気持ちが変わった。家具は少ない方が良い。一回くらいこちらで引越しもするだろうに。永住するつもりもないし。そうなると毎日キャンプ生活みたいな方が気楽でいいかも。まあとりあえずクッションを部屋に置いてみてから考えよう。ちなみに今は絨毯の上にあぐらをかいて、テレビを見ながらご飯を食べている。

それからトーランスの旭屋書店で某ラノベを三冊程買う。ラノベの著者って自分と同年代の人が結構居ると思うのだけど、いつも感心するのは、教室の描写とか、高校生の生活スタイルとかってよく覚えているよなーという事。覚えてるにしたって俺らの頃とは微妙に違ってるだろうし、どうやってリアリティを出すんだろう。親戚の高校生に聞くのかな。

私も二十歳くらいまでは漫画や演劇の脚本を書いていて、最後に書いたのは小学生向けに書いた『怪盗ルポンルピン』という脚本だった。盗賊兄妹のルポンとルピンが、どういうわけだかクリスマスの夜に起こった誘拐事件を解決する事になるという意味不明な人情喜劇だったが、それなりに受けは良かったと思う。それから物語の類を一切書かなくなるのはアート方面が忙しくなったのもあるけど、やっぱ自分の人生経験の無さが致命的では無いかと自覚したからだ。と言うのも当時私はナニワ金融道のようなリアリズムに心酔していて、やはり脳内の妄想だけでは駄目だ!現実の中にこそ物語があるのだ!と良からぬこだわりに支配されてしまったからだ。

しかし最近のラノベを読んでいると、あまり変なリアリズムに拘らなくても突き抜けてさえいれば面白い話は書けるもんだなあと感心してしまう。まあその突き抜けられるかどうかが差なのだろうけど。突き抜けられない人はリアリズムで行くしか無いのかな。でもいつかまた物語を書く機会があるとして、今のプログラマという職業はあまりにも物語性に欠けるなあ。卒業した後、看板屋になるかプログラマになるかという選択は半々だったんだけど、看板屋の方が良いネタになったかも知れない。