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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

國府理の仕事と仲間たち http://www.artcourtgallery.com/exhibitions/5432/

大阪のアートコートギャラリーで開かれている「國府理の仕事と仲間たち」展のオープニングレセプションに参加した。その機会に國府さんとの関わりを書く。ずいぶん昔の話なので記憶違いもあるかも知れない。

國府さんと初めて出会ったのは、1992 年に水戸芸術館で開催された「妄想砦のヤノベケンジ」展での事だ。ヤノベさんが僕の高校・浪人時代通っていた美術予備校で講師をされていた事をきっかけに、僕は(浪人)卒業旅行として単身水戸に行くことにした。単に現地で制作中のヤノベさんを冷やかして帰るつもりだったんだけど、訪ねてみると数日後に控えた作品を線路の上を走らせるイベントのために猫の手も借りたい状況だったので、そのまま徹夜で制作を手伝わされる羽目になった。その時に僕の相手をしてくれたのが國府さんだった。國府さんは僕にグラインダーやドリルの使い方を教えてくれた。國府さんは國府さんで、エンジンで動く大きな扇風機みたいな作品を出品していて、なんか良くわからんけど面白いやろ!と自分の作品について語る笑顔が印象的だった。

國府さんとは学年が三年違っていた。僕が一回の時に國府さんが四回かな? 京芸に入学してから、鉄部屋で國府さんとご一緒する事がよくあった。國府さんは自宅で制作される事が多く、夜中ひょっこり現れて自宅で出来ない作業を学校で行っていた。僕が二回生の制作展で巨大オルゴール的な作品を作った時もベアリングやネジやチェーンの購入経路等色々相談に乗ってくれた。初めてまともに音が鳴った時にも國府さんが居て、「あれがこうなったんか、なんかスタイル掴んできたな!」と一緒に喜んでくれた。

今回國府さんに関する文章を読んでいて気づいたのだが、僕が作品の作り方という意味で特に影響を受けたのは、搬入展示搬出のプロセスを含めて設計する事だった。國府さんには出来るだけ他人を介入させないで作品を完結させたいという思いがあったらしい。一人でも搬入展示が行えるよう部品のサイズや組み上げ方を綿密に設計してあったという。そう言われてみれば、國府さんはいつも(人使いの荒い他の先輩方とは違って)一人で仕事してるのになんでこんな重い作品が作れるのか不思議で、作業上の問題点と効率的な解決法について色々聞いた。僕と國府さんとの会話は殆どこのような技術的な議論で、あまりコンセプト的な話はしなかった。

國府さんはその後美術館などで多くの作品を発表される事になるのだが、残念ながら僕は京芸から出た後美術から距離を置いてしまったので、國府さんが広く活躍されるようになってからは深い話をする機会が無かった。今回も國府さんの作品を見て、既成のパーツをどのように選択して配置するかやパーツの色調をどう調和させるか等様々な疑問が浮かんだのだが、二度とそのような質問を出来ないのが残念だ。

今回僕が出展した物は四年ほど前の音の作品です: http://d.hatena.ne.jp/propella/20110420/p1