言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

アランさんとの会話

今日はアランさんがやってきてミーティングだった。今日は私一人しか居ないので話が続かなかったらどうしようと思って一応アジェンダのような物を用意していたのだがあまり意味無かった。二時間くらいずっとアランさんが喋っていた。

今日の話はぶっ飛びすぎて書ける話だと思うので書く。一つは Tinlizzie の動的な文書をどうやって実現するかについて。前から言語によらないスクリプトの内部表現が必要だという話が出ていたのだが、それには Alex の仕事が重要だと言っていた(と、言っても山宮は Alex が何やってるか知らない)。とにかく、それは十分なメタ言語によって可能だと言う事だった。メタ言語さえ出来てしまえば、我々はスクイークを捨てる事も出来るのだが、逆に、それは今やらなくてはならない。これはとても切実な事だ。なぜかってアランさんが今まで書いた数千のダイナミックな文書があって、それをいちいちプラットフォームが変わるたびに書き直していられないからだ。しかも、今やらなければならない。スクイークは無くなるかも知れないけど、文書はもっと長く使われる。

何でスクイークを捨てたいかというと、一つのイメージの上で作業するというモデルは、ダンが居たときにはうまく動いた。PARC の時もそうだし、スクイークセントラルでこじんまりやってた時もうまくいった。でも今は違う。あれは一人の人間が使うには良いけど、今みたいに沢山の人が関わるとうまく行かない。スクイークは教授の脳のような物だ。沢山詰まっているけど、柔軟じゃない。プレゼンの時にはスクイークのほんの一部しか使ってないはずだけど、依存性のために全部が必要だ。本当はもっと子供の脳みたいな方が良い。子供の脳みたいに、本体はまっさらで最低限必要な物しかないけど、必要な時に必要な物を取り外しできる。Alex と Ian のやつはそれを可能にする物だ。

Smalltalk のアイデアの多くは Euler という言語から来ていて、あれは良いものだ。実装されなかった Smalltalk 71 には Euler のアイデアの多くが含まれているけど、後にだんだん無くなっていった。

あとスケールについて考える事も必要だ。私達はインターネットという十分スケールする環境の中で、OS という全然昔から変わってない物を使っている。考えてみたら、○年前のインターネットにあったすべてのリソースは現在の一台のコンピュータの中に置くことが出来る(○年の具体的な数字は、今インターネットアーカイブの中の人に聞いている所)。OS もインターネットのようにデザインするべきじゃないか。有望なモデルとして、1985 年の LINDA が良いんじゃないかと思う。LINDA はスーパーコンピュータなんかに使われたシステムで、ノード間の依存性が無いようになっている。あれはオブジェクト指向以来一番大きな可能性のあるアイデアだ。

だそうです。月曜日も来るそうなので、早く帰ってきて頂けるとうれしいです > squeaker さん。