言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

あけましておめでとうございます 2014 年

悟りと自由について

最近、自分が寝ているのではないかと思う事がある。企業人としての自分、家庭人としての自分、それぞれのタスクを切り替えてそれぞれの短いタイムスライスの中で短期的目標に向けて行動する。様々なペルソナを統合する自己はタスクスイッチの狭間に滑り落ち、なかなか長期的目標に沿う事が出来ない。

ふと何かの拍子に我に返り、前に自分が深く考え事をしたのは何時の事だったろうかと振り返る。うたたねから覚めて周りを見回した時のようにギクリとする。今、自分は寝ていたのではないか。今、自分はどこで何をしていたのだろうかと問いかける。しばし慌てて数日間の出来事を振り返り、自分が何も出来ていないと後悔する。こうした僅かの気付きもまた数分後には日常の中に埋没するだろう。また次に目覚めることが出来るのは何時の事だろうか。

自分にとって悟りとは、数週間、または数ヶ月間に一度ようやく訪れるこうした短い気付きの時間だ。こうした時間には、ささやかな自己反省の後で、実に色々なくだらない事を考える。霜柱を食べる方法とか、イカサマ骰子の作り方とか、火気厳禁の施設で蝋燭を灯す方法とか。このような乱雑な思考が焦点を結び、一つの目標になればどれだけ幸せな事だろう。

私にとっての自由は思考の中にある。今更これ以上の時間的、空間的、金銭的自由が欲しいとは言わないが、せめて心の中にはもっと自由を持っていたい。せめて一日に一度くらい自由に思考したい。日々の生活に余裕が無くても、すきま時間で自由になれる方法を知りたい。そのために必要な物を色々考え中です。

  • 耳栓: これは通販で結構良いのを見つけた。
  • 座禅: たまには良いが、じっとしてるのが苦手なので向いてない。
  • ランニング: 思考自体には最適だが、走りながら記録を残せないのが欠点。

「やって、みて、わかる」目標について

自由な悟りの中で何を目標とするのか。横川さんが Facebook で挙げておられた言葉 「やって、みて、わかる」 こそが、自分の目標を表すのにぴったりな言葉だと分かった。目の周りには色々な面白い事で満ち溢れているのに、それらは訳の分からない言葉で書かれている。その言葉が分かるためには体を動かして自分から話してみなくてはならない。初めは闇雲に「やって」みて、相手を「み」ながらやがて慎重に。そしてようやく「わかって」くる言葉たち。その言葉が分かれば世界の見え方がどんどん違ってくる。

探求の対象はどこにでもある。自然の中にも、人工の中にも、会社の中にも、家庭の中にも。日々の生活の中に埋没すること無く、少しでも探求の手を止めないようにしたい。

興味のある事

  • 論理機械: 思考の最小単位である論理演算の機械式実装。
  • 回路標本: 電子回路の標本を残す。
  • 健康実験: 接触による身体的快楽。
  • 音響彫刻: 非接触による抽象的快楽。

正月の記録

  • 2013/12/31 妻の実家に行く。富山名産かぶら寿司鱒寿司等を食べる。泉蔵院にて除夜の鐘をつく
  • 2014/01/01 大阪の実家。おせちを食べる。清福寺近辺を散策。
  • 2014/01/02 二条城、知恩院、八坂神社。叔父のローストビーフを食べる。
  • 2014/01/03 家族全員でかにしゃぶ。iPhone5s を割る。有楽町火事で二時間以上新幹線遅延。何とか富士見ヶ丘駅よりタクシーで帰宅。

以上吉祥寺サンマルクにて。吉祥寺の喫茶店はどこも激混みで、早朝を逃すとまず座れないが、サンマルクカフェ吉祥寺元町通り店は 11:30 の段階でも余裕を持って座れる。久々にパソコンを開けてだらだらと思ったことを書き散らかした。