独りでビールを飲んで、珍しく自分語りな気分なので、美について書く。私は美しいものが好きだ。もっと言うと、正しいものには興味が無いが美しいものは好きだ。なぜ正しいものに興味が無いかと言うと、それは怖ろしいからだけどそれはまた別の話。なぜ美しいものが好きかというと、美しいものには理由があるからだ。
言葉にならない美しさというのが私には分からない。美しいものには理由がある。だから言葉で説明できる。美しいのは単純だからだ。複雑だからだ。明快だからだ。謎めいているからだ。必要だからだ。不要だからだ。郷愁を感じるからだ。未来にときめくからだ。
上手く言えないけどとても美しいんだ!とつい言ってしまう事もあるけど、それは嘘。どうせ言っても伝わらない相手か、正確に説明する手間を惜しんでいるかのどちらかで、本当は全部理由がある。今まで自分が作ってきた物も、幼い頃にチラシの裏に描いたドラえもんから、社長に命じられて書いたスパムメールのプログラムまで、全部美しい事が目標だった。
なぜここに空間があるのか、なぜここに線が必要なのか、この改行、モジュールの分け方、命名規則について、やりたかった事、出来無かった事を全部説明できる。説明出来る事が美の絶対条件だ。だから、感覚的に?何となく?即興で?美を追求?クオリア?そういうのを聞くとむかつく。それ、分かってない事を誤魔化しているだけだろう。美は直感から外れた方角からやって来るので、そんなにちんたらやってて出来るわけが無い。
美は個人的な物なので、説明されても理解出来ない事は良くあるだろう。しかしそれは美を説明しない理由にはならない。本当の美に興味が無い人が美を騙るとき、それっぽく美を深遠で近づき難い物のように語る。しかしそれは嘘だ。
美は説明出来る。だから多くのエンジニアは美を好む。