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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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デモグラフィックス

私は流行ものに弱いので最近ドラッカーを読んでいる。今読んでるのは、アランさんの推薦図書 http://squeakland.jp/sqmedia/books/book_list.html にもある "Innovation and Entrepreneurship" だ。

余談だが、アランさんの推薦図書のページは本家 squeakland.org では無くなってしまったので日本語版でしか読む事が出来ない。日本語版はまだ残っているので大変重宝している。

内容だけど、ようするにイノベーションを起こすための方法が色々書いてある。例えばやはりイノベーションの王様は技術革新によるもので、アラン・ケイの「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」というセリフもこれに当たる。しかしこれはアランさんだから言える事で、もっと普通の人でも簡単に未来を予測する方法が沢山このドラッカーの本には書いてある。

なかでも私のお気に入りは人口動態(Demographics)を使って予測する事だ。つまり、現在の人口と世代分布から将来を予測するという方法で、誰でも簡単に出来るにも関わらず多くの人が無視をするという不思議な方法だ。

しかし、私は昔ちょっとだけ大学で働いていたのでこの無視する気持ちというのが良くわかる。18 才人口はわたし達の世代あたりでピークだった。今後確実に大学運営が苦しくなるのは分かりきっている。しかもかなりの卒業生が教職を目指すのに、子供人口はすでに減っていて就職先が無い。それでも、大学の規模と学生数を減らすという方向には行けなくて、大学院、博士課程、と学生の就職を遅らせ問題を先送りにしてしまう。

人口動態を無視、または軽視してしまう理由は沢山あるけど、どんな悪あがきをしようと人口構成は予測通り変化して行くので、結局は現実に向き合う事が最も割りが良いはずだ。

人口動態というのは社会を俯瞰する方法だが、一個人の人生にも同じような視点が使える。今年 60 歳の人は運が良ければ来年 61 歳になる。70 歳の人は 71 歳になる。しかしテレビ番組や書店の本棚を見ると、いつまでも若く居る方法、病気を克服する方法などで溢れ帰っている。このような老化という誰もが持つ弱みに付け込む商売は大変確実で素晴らしいと思うが、一方で、正しく死ぬというより大きなチャンスを見逃している。

社会の人口動態と個人の人生を同時に考えた時、終末医療に大きな可能性がある。わたし達が将来に不安を持つのは、突き詰めると結局、死ぬその瞬間に痛いのが嫌、苦しいのが嫌、寂しいのが嫌という点に尽きる。それらの苦が取り除かれ、死が誕生や結婚と同じく祝福される物になれば、もう恐れる事は何もない。怪しげな代替医療にはまる必要もなければ若者の足を引っ張る必要も無くなる。そしてそれはテクノロジーによって解決可能な事だ。

イギリスで 1967 年に始まったホスピスはがんの治療を行わず、末期患者の精神的、肉体的苦痛の軽減に専念する画期的な施設だ。精神的苦痛を取るのにどうするのかはちょっと分からないけど、肉体的苦痛はモルヒネの積極的投与によってかなり良くなるらしい。点滴による延命を行わない事も特徴だ。最後物を食べなくなるのは正常な死のプロセスで、無理に栄養を与えると却ってがんが成長して苦しいらしい。

問題は、我々が死ぬ頃までにこのような施設が維持出来るかという事だ。ホスピスはそんなに儲かる商売じゃないし、通常の病院に比べてより多くの看護士が必要なので、我々が死ぬ頃には若い世代も少なくなり相当運営が厳しくなるだろう。この辺りを技術的にどう解決するかは大変面白い問題だと思う。

特に私なんかは精神的なケアは不要なので、肉体的な苦痛さえ取り除いてくれれば、例えば iPhone から自動的に最適な量のモルヒネが出て最後まで痛み無く楽に安く死ねれば良いなと思う。