言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

ロサンゼルス・ダウンタウン

合宿最終日の朝からどうも頭痛に悩まされているが、ホテルにいても気持ちがしんどくなるのでとりあえずブラブラするかと思って 92 番のバスに乗った。バスの窓から街を眺めるだけでもなかなか楽しい。グレンデール市街地を通り過ぎ、ロサンゼルスの 3rd - Spring の辺りで降りてブラブラする事にした。

そうすると Broadway という妙に賑やかな通りに出た。どう賑やかかと言うと、ブラジルなのかメキシコなのか、とにかくラテンな感じなのだ。迷子になりそうな予感がしたので本屋で地図を買ったら、店員は英語が話せなかった。ホテルの掃除人ならともかく、客商売でそんなのありか?! そういや半分以上スペイン語の本だ。面白い。

しばらく歩くと、大阪で言うと松屋町のような、おもちゃ屋さんが集まった町に出た。右も左もおもちゃ屋さんという夢のような町だが、路上には浮浪者のテントで一杯だった。客は車で乗りつけ、どっこいしょと浮浪者のテントを避けながら前途有望な子供達の手を取りおもちゃを選びに店に入るのだ。何て皮肉っぽいコントラスト!浮浪者たちは過去の夢を思い出しに自然とこの町に集まってくるのだろうか。

またまたしばらく歩くとリトルトーキョー。甘ったるいうな丼を食しながらアメリカを憂う。貧富の差にも限度があるだろー。ロサンゼルスの浮浪者は際立って汚い。汚いという感覚は主観的な物だ。なぜ汚いと思ってしまうかは、立派なロサンゼルスのビルが遠目に見えるからなのか、それとも豪勢なキャンプの後だからなのかは分からない。だけど。この尊厳の無さはどこから来るのだろうか。それは彼らが罪びとのように扱われているからでは無いか。

日本の浮浪者は自分と連続している。彼らは数年前には普通の家庭の普通の父親だったかも知れないし、僕も収入が無かった時代、数ヵ月後にはあそこへ行くのかなと思っていた。だけどアメリカのこの救いようの無い断絶した感じはどこから来るのだろう。僕は貧富の差は有るべきだと思う。多様性は社会を強くする。しかし貧しい事は罪では無い。富める者は、貧しい者によって存在を許されている。貧しさも豊かさも、それぞれ社会の役割として機能している。貧しい者はその役割を全うしている限りにおいて、どのように貧しくても、尊敬されなくてはならない。

あまり知らない社会の事情をあれこれ言うのは良くないのだが、今現在こう思ったという事を、このようにとりあえず記録しておく。