言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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『甘えの構造』土井健郎著

1971 年のベストセラー。実家の本棚にもあった気がする。懐かしいので図書館で借りた。不登校の家族の心理の理解に「甘え」というキーワードが便利で参考になった。一方で、著者の日本人論があまりにも一面的過ぎて読んでて辛くなり半分くらいで読むのを辞めてしまった。前半参考になった部分をメモする。

この本の骨子は、「甘え」というのが日本語独特の語彙であって欧米語に適当なものがないという所にある。そこから「甘え」を軸に日本人の心理構造を研究するというのがテーマだ。私としては著者の個人的な経験と文献調査だけからの乱暴な議論に思えるが、面白い話も多かった。

「甘え」は子供の母に対する感情に由来する、好意を引き留めたい欲望とする。(本筋から離れるが、実は親子の情で「甘え」という語が使われるのは最近の事らしく、例えば夏目漱石の時代では男女の間柄しか「甘え」は使われていないらしい)。そこで、個人から見た社会関係を以下のように分類できる。

  • 人情/内: 「甘え」が許される親子の関係
  • 義理/身内: 「甘え」を拡張できる関係、兄弟、夫婦、親戚、近所
  • 他人/外: 「甘え」のない関係

さらに著者はベネディクトを引用して日本人の特異性を語る。特に天皇制への言及は面白い。

天皇はある意味では周囲に全く依存しているが、しかし身分上は周囲の者こそ天皇に従属している。(p77)

つまり天皇は国民に「甘え」国民は天皇「甘えられる」事で従属しているという。なんとなく、大企業でも世襲の経営者の統治が案外スムーズであるさまを想像してしまった。

「甘え」によって恩恵を得ると、心理的負債を生む。この心理的負債は贈与論的に言うと経済的負債の起源と言えるが、著者は日本人論にこだわるあまり(少なくても本の半分の時点では)そこまで話を広げていない。そこで私論を勝手に進めて「甘え」の負債を「恥」や経済的負債とみると面白いと勝手に思う。

  • 人情: 「甘え」による「恥」は精算されない。もしくは次世代に精算される。
  • 義理: 「甘え」による「恥」は長期的に精算される。恩返し。
  • 他人: 「甘え」による「恥」は金銭的、経済的に即時精算される。

この構図を応用してみる。個人的な話だが、家族が常に「誰かに怒られている気がする」と被害妄想気味な愚痴を漏らして困っている。これが「恥」だとすると「甘え」られる事によって精算するしかない。しかし当人が「甘え」られる事に負担を感じている場合、他にどのような精算方法があるだろうか?今後の課題だ。