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とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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地球温暖化と進化論、ペストとメディチ家

こないだ大島さんに地球温暖化についての映画に連れて行ってもらった。ゴア元副大統領が MacKeyNote でプレゼンをする場面を軸に、貴重な大自然の映像が沢山収録されたすばらしい映画だった。特に実際にヒマラヤやグリーンランドの氷河が実際に消滅している事を示す写真が大変衝撃的で、知識で知っていても映像で見るとずいぶん印象が違うなあと思った。

映画のラストでは、ゴア元副大統領が、地球温暖化は現在の科学技術で十分防止可能であり、合衆国の選挙民の意思によって実行可能であるという持論で締めくくられる。とはいえ大島さんの意見によると、実際に何十億人も自然災害で亡くなるような事でも無いと実際問題対策を事は難しいのではないかという事だった。私としては、小さな頃から20世紀末で地球は滅亡すると信じていたので、結局なんとかなるんじゃないかという楽観論を持っているのだが、地球温暖化が最悪の事態を迎えたときにどうなるか改めて検討してみる。

人類はすでに何度も大災害を経験しているが、特にペストの猛威は歴史に深く刻まれている。特に最近 Medici Money という本を読んでいて、中世のヨーロッパで起きたペスト渦とルネサンスの関係が非常に面白いと思っている。

ルネサンスを支えたメディチ家の行動は、当時の罪の意識に大きく根ざしている。なぜならカトリックにとっての三大罪悪は、同性愛、神様に悪口、利子であり、メディチは銀行の親玉だったからだ。ヨーロッパの経済にもはや不可欠となった銀行業が、一方で教会の教義に全く反するというこの矛盾。しかもペストという壮大な天罰を食らった直後の事だ。この罪の矛盾から逃れようとする力学がメディチを教会芸術に向かわせたというのが本の主張(一割くらいしか読んでないけど、多分)。

ここで、地球温暖大災害の後にも同じように未来のルネサンスが起こるとしたら話は面白いのだが、残念ながらそうじゃないと思う。ペストと温暖化では災害の性質が違う。貴族の多くがペストに倒れたのに対して、ハリケーンカトリーナの被害に遭ったのは黒人だらけだ。当時のペストと異なり、我々は天災の原因と可能性を知る事が出来る。そして力のある者は簡単に逃れるだろう。

モラルは環境から生まれる。偶然のペストが天罰の概念を生み出したとしても、予測する力を持った我々に天罰は不要だ。むしろ来る大災害の日に備え弱者を蹴落とす財力を蓄えるというのが合理的な行動では無いだろうか。天罰に代わる概念は適者生存自然淘汰。背景にあるのは聖書の代わりに進化論だ。我々の行く先には北斗の拳を凌ぐ恐ろしい世界が待っているのだろうか。でも私はそこに居ないだろう。間の悪い私は、大災害の日に海水浴にでも行ってそうな気がするからだ。