言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

言葉の使いよう。

みなさん夜遅くまで起きてらっしゃいますね。。。

言語化をいつやるか、どのような過程を踏むかについては確かに細心の注意を払うべきだ。言語化によってアイデアが固定化され作品がつまらない物になるというのも良く分かる。ふと今になって、こういうのは自分の周りで繰り返された議論だなあと思い出す。特に自分の美術体験の中で、作品を評価する時に現れる空虚な会話。グルメ番組のような主観に基づく自己満足な作品の褒めあいに辟易していた僕は、特に言葉にならないけどとにかく面白いという事を努めて排除してきた。言葉を出尽くしても語れない面白さは大切だが、言葉にしない面白さには欺瞞が付きまとう。面白くも無いのに単に感覚だけで「面白い」とか、「深い」なんて言うのは簡単だから。

例えば、絵を評価するときの頻出単語として、「面白い線」というのがある。線が面白い?!なんだこれは! この面白い線をここで深いと納得してしまうのは単なる思考停止だ。受験や締め切り前に面白い線を描かなくてはならなかった時、偶然に任せて面白い線を追求するなんて余裕は無い。僕なら「ギザギザな線」を描く。これなら具体的で、再現性がある。実は受験の時先生に、面白いとはギザギザの事だ、と、こっそり教わった。

これは正しい思考の流れでは無い。面白い線に、たまたまギザギザな物が多かったから、ギザギザを描くと面白い確率が高いと、それだけの事だ。つまり、逆の思考。ギザギザは単なる方便であって面白さの本質ではまったく無いが、ギザギザも山ほど描くとそのうち本当に面白い線を描くことが出来るようになる。

阿部さんの話は、この面白い線→ギザギザという抽象化を初めから与えるのではなく学ばせるというという事だと思う。でも具体的にそのために何をすれば良いのか思いつかない。本当に、ただ例を挙げてほったらかしで良いものなのだろうか? これは SSS2004 の宴会でも盛り上がった話だが、ほっといて育つなら結局教えるという事自体が不要なのではないか?。。。長い話なので休憩。