言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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作業ログと発生とユーザインタフェース

HyperCard 調査続き。教えて頂いた調査を基に、HyperCard がビットマップをどう扱うかについて調べようと思ったのだが、ウェブ上に情報があんまり無いので断念。やはり阿部さんに教えてもらった本を買おうか ASIN:4320024842。それからしばらく追いかけていなかったので Tweak のアップデート。小手調べに Techo を Tweak で使えるようにしようと思って関係ありそうな 2月8日あたりからのスレを読み返す。複数 UI をサポートする為に UIManager が使えるかと思ったけど、これは簡単なダイアログしか提供していない。

函館ワークショップの準備は阿部さんが精力的に進めて下さっている。毎日面白いネタを集めてきて、非常に楽しみだ。なんだか自分の分の仕事が捗らなくて焦るが、まあ、なるようになるか。

阿部さんの、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーマに対して僕が興味を持つ切り口は、進化で選ばれた物は何を捨ててきたのだろうかという事だ。よく、「簡単な事は簡単に、複雑な事は可能に」する物が良いインタフェースだという事を言うが、問題は、簡単な物、複雑な物は何かという事。人によって考え方は全然違ってて、その線の引き方がデザインのキモだと思う。

生命科学の言葉を借りれば、インタフェースにはアポトーシス(自然死)のような要素がある。コンピュータの機能はどんどんと増えてゆくが、その全てをユーザから見えるようにすれば複雑すぎて操作出来なくなってしまう。例えば マリオ64DS のインタフェース。3次元上の画面表示は非常に自由度が大きく、CounterStrike 等のパソコンゲームではありえない視点も自由に設定出来るが、その点マリオの視点はかなり限定されていて、だいたい誰が操作しても勝手にクッパとマリオを同時に見れるような視点になる。そしてその自由度の低さが使い勝手に貢献している。

自由度を低くする事による進化は同時に将来の可能性を摘み取るリスクにも繋がる(C5 の時、Julian は 生命ラチェットと言っていた)。良く挙げられるのがキーボード配列の例だろう。鯨がいまさらエラを持てないように、一度進化してしまうと後戻りは難しい。僕がいつまでも英語が喋れないのも、きっと個体における生命ラチェットの一例だ。ネオテニーが必要なのか?