言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

グングンの続きなど。

ここ数日。とあるワークショップの為の準備。と言ってもまったく進んでいないので頭を整理する為のメモ。

相手は大学生だし、こういう時のために取っておいた広告批評2003年7/8月号の佐藤雅彦特集を読み返す。佐藤雅彦、す、素晴らしすぎる。うーん。そうだな。考えんのめんどうだからテーマはここからパクって「考える事を考える」にしよう。

本に書いてある事がわからない時。僕は必ず著者のせいにします。著者とあろう者は読者に良く分かる言葉で書かなくては行けない。たまにそういう人もいるから、表現形式には気をつかなくてはいけません。アイデアが良くてもヘボい表現では分かってもらえない。1) アイデアは表現形式によって制限される。2) よく出来た表現形式があればアイデアをずんずん伸ばす事が出来る。

良く言うでしょ。キャラが勝手に話を進めるって。キャラも一つの表現形式の形です。単語の一つ一つが文の中で役割を果たすように、キャラも物語の中で役割を持つ。重要なのは役割が書き手だけによって作られる物じゃなくて、読者によって共有される物だという事。単語の意味を作家が勝手に変える事が出来ないように、のび太としずかちゃんの性格を藤子不二雄といえども勝手に交換する事は出来ない。たしか、のび太としずかちゃんが本当に入れ替わる話があったっけ?あの話がおもしろいと感じるのは読者とキャラの立ち居地を共有しているからだ。

コンピュータの面白いところは、このキャラ、表現、ルール、を勝手に決めて実験が出来る事だ。たとえその表現が他の人間にとって理解できなくても、コンピュータが実行できれば少なくともコンピュータと書き手との間に何かのつながりが出来た事になる。というわけでこんな実験を考えてみる。

あなたは勝手に『俺言語』を考えて、コンピュータに実行させる。それを友達に教えて、『俺言語』でなにか別の事をさせる。あなたは友達が作った『俺言語』で何か別の物を作る。

とここまで考えて図書館へ、グングンの続きを考えようと大学一年の気分で『優しい群論入門』isbn:4000051903: を借りる。群の言葉を覚えるとルービックキューブや15パズルが解けるようになるらしいが、まだ僕には無理だ。しかし、コンピュータプログラムに比べて、この手の記述はどうにも醜悪に見えるのだが、慣れの問題だろうか?要素の事を元と呼ぶとか。要素の数と巡回群の数をどちらも位数と呼ぶとか。これを全部 Smalltalk で書き直したくなる。でも、巡回群阿弥陀籤とアンモニアと乱数に関係あるとわかって、キャラが勝手に動く気分。

帰りにヨドバシでガレージバンドの入門書とMIDI変換器を購入。コード進行も群なのではないか?