フランスから帰って三日になるのにまだ眠い。ここ一ヶ月程、人知れず猛烈にプレゼンの準備をしていたので、気が抜けてしまったのだろう。なぜ人知れずかと言うと、どうも C5 の準備というのはちゃんとした業務に入れて貰えない雰囲気で、ずっとミーティングの時も etoys の作業が進まなくてすみませんと言って実は全然サボってプレゼン準備をしているという事は半公然の秘密状態だった。かといって C5 出席するのは暗黙の義務だし、まあ終わったから良いけど。
これからの予定。一つはアランさんが NSF のレポートの付録として Javascript を使ったプログラミング入門みたいなのを書いていて、それを Tilescript の仕組みでアクティブエッセイ風にするというのと、あとサザーランドの○周年記念(?)にスケッチパッドにちなんだデモをしたいというのがある。例によってアヤフヤな話だけど。
OLPC etoys についてはすっかり遠ざかっていたので訳が分からなくなっているが、pootle というシステムがいよいよ使えるようになったらしい。メールを追いかけているとどうも POT をコピーするだけでマージをしてくれるらしい。これは楽そう。しかしこれもエラーで今日はアクセス出来ない。特に OLPC 関連では私も随分無駄な作業をしているから、ちょっと人より三週間くらい遅れてメールチェックするくらいで丁度良いかなと思ったりして。
OLPC で最大の無駄な作業といえば tweak だけど、実は Sophie の人たちは tweak を使いこなしているという事が C5 で分かった。凄い!我々も、もしもアンドレアスがあの時点で Croquet2D なんか導入しなかったら失敗しなかったんじゃないかな。ふと、記録の為に自分の OLPC etoys の初期の取り組みを書いてみる。
最初に OLPC の話を聞いたのは HP ラボの電話会議だったから、2005 年の夏だ。その頃から Tweak は重かったが、いづれ何とかなると言っていた。話が現実的になって来たのが 2006 年の夏。Tweak を破棄という衝撃的な決定がなされた。評価ボードが届いたので、現行 etoys をベンチマークを取って GUI の最適化を行ってという事を一人でシコシコやっていた。DemonCastle というチュートリアルも書いた。正直この頃情報が殆ど無くて、他の人もあまり興味なさそうだし、一体どうなるのだろうと思っていた。
話が急展開しだすのが 2006 年の秋。バートさんが参加し、ボストンで初めて液晶画面を見た。マスコミ OLPC の話題も出るようになって、突然我々の最重要課題になった。嬉しい反面、今まで好き勝手やってきたのに画面のデザイン一つ変えるにも会議が必要になって、正直仕事がしにくくなった。DemonCastle も壊されてしまうし、それで、冬以降はサウンドや X11 等の裏方に徹する事にした。と、こんな感じです。また役に立たぬ事を書いてしまった。