言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

検索は便利になるか

http://tabesugi.net/memo/2005/91.html#021954

僕がはじめての分野に挑戦する時、例えば、初めて漫画喫茶に行くとか、初めてカプセルホテルに泊まるとか。初めて餃子定食を食べるとか(今初めて書くが、僕が日本で中華料理屋に入るときには必ず餃子定食を注文する、麻婆豆腐以外にも好きな物があるのです)。その時の印象ほどあてにならない物は無い。良かろうが、悪かろうが、比較対象が無いのだから。だけど何度も通うようになると、何となく全体の中でその店の置かれている位置が分かってくる。この漫画喫茶や、カプセルホテルや、餃子定食が全体の中でどのレベルなのかが、実際に店に入らなくても想像が付くようになる。しかしそれらは修練の結果なのだ。数多くの糞を掴まなければ、本物は見えてこない。

今日のミーティングで、トラスト検索エンジンについての話があって、目立つ情報は氷山の一角のようだという興味深いスライドがあったのだが、悲観的に考えるとそもそも検索の効率を機械が上げるなんて不可能な気がしてくる。ある分野について言えば、いくら機械がより分けようが情報の選択能力には数多くの糞経験が必要で、機械がもし効率よく良い情報を提示してくれるようになれば糞情報に触れる機会が減るわけで、そうすれば利用者の情報選択能力が減るというジレンマ。

目利きになるためには分野ごとに糞に触れる必要があるという前提が間違っているという意見もあるだろう。少なくとも、一つに精通すれば他の分野でも応用出来るのでは?しかし高名な科学者の哲学的な意見はトンデモな事があるし、良い漫画喫茶を知っていてもカプセルホテルを選ぶ足しにはならない。

そしてたとえ多くの糞を掴んで修練を積んだとしても、今までの全部が糞だったなんてすごい出会いがいつ起こるかわからない。検索とは糞を掴む事であり、検索の完了とは諦める事である。なるほど。