最近は隔週土曜日 Griffith Park を歩いている。最近のお気に入りは前にも書いた天文台周辺をうろうろするコースで、たいした距離でも無いが気晴らしに向いている。
今日はふと天文台の中まで入ってみた。最近ちょっと日光について疑問があって、何か手がかりが無いだろうかと思ったからだ。疑問とは次のような物。夕方ぼんやりとうちの中庭に座っていると、結構日影が速く動く事に気づく。影が速く動く理由は、光が地面に斜めに差しているのと、陰の元であるアパートが高くて影に距離があるのと、二つの理由からだ。じーっと見ていると、影が動いているのが見える。
いや、嘘だ。
実際には影が動いているのは見えない。確かに夕方のアパートの影は、近い自分の影や昼間の影よりも速く動いているはずなのだが、あまりにもぼんやりしすぎていて全然速さを感じる事が出来ない。このぼんやりしているのは何故なのだろう。何故くっきりしたアパートの影が凄い勢いで遠ざかって行くのを見る事が出来ないのだろう。というのが疑問。
もしもくっきりした影が可能であれば、秒針として使える日時計が可能になる。日時計というのは大変調整が難しい物だそうだ。Griffith 天文台にも日時計があるが、今日で二分くらい進んでいた。難しいのは絶対時刻に合わせる事であって、相対時間、例えば 60 秒間を測るような目的であれば高度な調整は要らない。そんなわけで例えば日時計でストップウォッチを作る事が出来れば、キャンプ中にラーメンを作る時とかに大変役立つだろう。理屈では、どんどんと日時計を巨大にしていけば針と影の距離が伸び、角度変化当たりの速度が速くなり、秒単位の計測にも使えるはずだが、実際にはぼんやりしすぎて使い物にならないだろう。このぼんやりの原因と、ぼんやり解消についてずっと悩んでいた。
天文台の展示の一つに、カメラ・オブスキュラという物があった。天井の小窓から差し込む光が暗室のテーブルを照らしているのだが、よくテーブルの像を見ると、くっきりと外の山々が大きく引き延ばされている。これは面白い。そしてここに大きなヒントを感じた。遠くの光がくっきりはっきり大きくなるなら、当然影もくっきりするのではないか。ちょっと具体的にどうすれば良いのかは分からないけど、なんだか前進を感じた週末だった。