言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

猛烈な勢いで反省日記(読まなくていいです)

去年の今頃はサンディエゴで、来る未踏の発表に向けて焦っていた。あれから一年。未踏も含めてちゃんと仕事出来ただろうか? 一応他の人にとっても使われる仕事になったのは、たった3週間で仕事の合間に作った ODECo くらいか。それを考えると、努力やかけた時間とは別に、どんな方向性に向けて仕事をするかが肝心。あともう一つ。実は今年はフリーなので、立体作品や何か Squeak 以外の仕事が出来るかなと思っていたのが叶わなかった。

ミクロに見ると。毎日はそのつど重要と思われる事をしていて、逆に不必要な事はしていない。僕の生活は異常に机の前にいる時間が長い。だけどそういうのは生活の時間の7割くらいにして、残りはもうちょっと人間的な、映画を見たり本を読んだり趣味するべきなんじゃないか? ちなみに、僕は昼寝の時間もかなり長い。これは体調が悪くて起きてられないからだが、そのあたりもバランスの取れた生活をしないとかえって能率悪いなあ。

本当に楽しい仕事をしている時は時間を忘れるのだが、難しいのは楽しい仕事を見つける事だ。頼まれ仕事だからつまらないなんてのは嘘で、どんな仕事でも自分風に出来る。仕事を見つけるのは容易いが、難しいのはどうやって狙いを定めるか。多分自分にはこういう才能が無くて、やりっぱなしの仕事で散らかってしまっている。

というわけで反省を始めると特に年末に限らない話となるのだが、とりあえず狙いを C5 とその後の未来大でのワークショップに定めて、無駄な作業を切っていかなくては。

まず C5 では、ワークシップを通じたメタトイの紹介をやるのだが、メタトイの説明をちゃんとしないといけない。メタトイは「ドットネット」みたいに雰囲気を表す意味の無い単語として使おうと思ってたのだが、言葉に反応する人が結構いて(あなただけではないです)。仕方ないのでちゃんと定義を考える事にする。

ちなみにこの日記では、メタトイを少なくとも二種類の文脈で使っている。ワークショップとしてのメタトイと、システムとしてのメタトイ。これは etoys と同じ使い方なので悪くないと思う。難しいのは、メタトイの定義(メタトイで無い物との差異)と、何が面白いかについて。定義については、最初明らかに出来ると思っていたが、僕の理解も浅く難しかった。何が面白いかについては、面白くない訳が無いと思っていたので(なんせ、出発は自分の面白い作品を集めてメタトイと呼ぶことにしたので)、意外な視点だが説明できるようにしないといけない。

戦略的な視点としては、実世界との接点と、Croquet との関わりをどうするかという事。実は当初は実世界と接点を持たせられないと思っていた。メタとは言葉、概念に関する単語であって、実世界にメタな物は(無限が存在しないのと同じ意味で)存在しない。だけど実世界の比喩を持たない物は理解できない。Croquet に関しては、マニアユーザが居る面白さと、最近のゲームをやっていて(と言ってもドラクエだが)三次元画像のやるべき仕事の多さへの魅力を感じてしまう。

技術というのは本質的ではなくて、純粋さを追求するなら今のまま二次元の etoys 上で、もっと言えば CUI のみでコンピュータの楽しさを求めるのが正道だと思う。例えば Haskell なんて正しい盛り上がり方をすると思う。じゃあ何で三次元なんて枯れてない技術を使うのだとか、だいたいコンピュータを何故使うのかという話になると。実は選択の結果ではなく、人垣に魅かれるような物なのだが、僕は正しくない人間なので、それもありかと思う。

もう時間が無いので、悪い癖だがやるべき事ではなく、出来る事を追求しよう。Croquet はまだワークショップでは使った事が無いが、ワークショップで最低限形になるには何が必要かな。モデリングを諦めよう。teddy は確かに楽しいのだが、多分楽しくてそれだけでワークショップが終わってしまうだろう。主題はプログラミングなのでまずい。素材は幾何形体か、普通の絵をパラッパラッパーのようにハリボテ表示する。これでメタトイ(道具)が作れるだろうか?また手を広げてるような気がするな。。。折角 SuperSwiki 用意したのだから、これも何かの役に立てないかな。

問題は年賀状をいつ書くかという事だ。